第八回特別インタビュー 小泉今日子

CHIRATTO第八回特別インタビューのゲストは、小泉今日子さん。現在はプロデューサー業を軸に仕事をする小泉さんに、プロデューサーになった理由、新型コロナウイルス感染症以降のものづくりについてお聞きしました。

周りが誘導してくれたから、プロデューサー視点のアイドルになれた

— 自粛が明けて、お仕事は動き始めた感じですか?

小泉今日子(以下、小泉):そうですね。プロデューサー業が主なので、複数の作品の準備はPCさえあればできるじゃないですか。会社自体は3月の終わりから在宅ワークにしていて、最近再開した感じです。自粛中は何度もZOOM会議をしましたけど、みんなの休日ファッションが見られるとかっていう楽しさはありましたね(笑)。わりと在宅仕事は嫌いじゃないなって。でも、自粛が明けたら、止まっていたことを一気に動かそうと思っていたので、立て込んできたところですね。

— 小泉さんは、セルフプロデュースのアイドルの先駆者的存在でもありましたし、プロデューサーになるべくしてなられたという印象を受けるのですが、ご自身の会社である制作事務所「株式会社明後日」を立ち上げるまでの経緯を教えていただけますでしょうか?

小泉:もともとデビューはしたものの、歌や演技がすごく上手かったわけでもない。自分は圧倒的な何かを持っているわけでは無いと思っていたので、その足りない部分をどう埋めたら毎日楽しく過ごしていけるのかなと、いつも考えていました。誰に曲をつくってもらおうだとか、誰とお仕事をご一緒してみようだとか。でも今思えば、そういう考えに至るように、周りの人が誘導してくれていた気がします。昔は主流がレコードだったので、レコード会社のディレクターの方が、「この子の言っていることや好きなことは面白いから、B面をプロデュースさせてみたら?」みたいに。「プロデュースってなんですか?」というところから入って、「好きな作曲家や作詞家をまず考えてみて」と教えてくれたんです。

— そこから歌詞や文筆業というところまで広がっていくんですね。

小泉:歌詞は自ら書こうとはしていなかったんですけど、騙されながらやるようになったのも、周りの人に誘導してもらったから。そういう人たちのお陰で、作品やものをつくることに目覚めて楽しくなっていきました。当時、コンサートの演出をやったり、MVの編集をやったり、周りの人からいっぱいチャンスを与えてもらっていたんです。でも、50代になる自分を商品として考えたときに、いろんなアイデアは持っていたけれど、ここからこのお仕事を続けることができたとして10年、20年だとしたら、才能があるのになかなか評価されなかったり、発表する場がない人と一緒に自信を持って面白いものをつくっていけたらいいなという思いを込めて会社を作ったという感じです。

— 外側から作品をサポートするという思考になったのは、ご自身の体験からなんですね。

小泉:年齢に関係なく個としての意思を持った人のほうが、私には魅力的に映ってしまうんですよね。なんとなく、どこか持て余している人っていっぱいいる様な気がして。自分もそうだったから。でも、私の場合は、外の人が救ってくれたので。映画監督の相米慎二さんが『風花 kaza-hana』(00)で私を起用してくれたときに、「この姉ちゃんは、なんか持て余していたような気がしてたんだよ」という言い方をしてくれたんです(笑)。その映画は、私にとってひとつの宝物になった。いろんな人にとってのそういう宝物を増やしたいのかな。

— あくまで作品をプロデュースすることにフォーカスされていると。

小泉:たとえば、誰かひとりのアイドルをプロデュースすることにはあまり興味がなくて、1000人にひとりとか100人にひとりの心にしっかりと届いて、大人になってもずっと思い出すようなそういう作品を誰かと一緒に残していく。100人のうち100人にわかってもらえるものをつくる気はサラサラない。100人の中のひとりが大事に持って帰れるフックみたいなものがつくりたいと、自分自身が作品に参加するときもプロデュースするときも、常にそう思っています。本や雑誌もそうじゃないですか? 引っ越すたびに、捨てようかなって思うんだけど、捨てられなくてまだ持ってる1冊とか1本とかみたいになれる作品を残していけたら。自分はきっとマスではなくコアのほうに興味があるんだと思います。

マスよりもコア気質な理由って?

— マスよりもコアなのは昔から変わらないのではないですか?

小泉:そうですね。私は歌手としてデビューして、わりと早くにマスなところへ行くことができましたけど、そのときから変わらないですね。たまたま友達が東京スカパラダイスオーケストラのメンバーで、小さいライブハウスに初めてライブを観に行ったら、すごく格好よくて、「こんな格好いいものを自分だけじゃなくて、もっといろんな人に知ってほしい!」と心から思った。そのときみたいな感覚はずっと自分の中にあります。

— それってかなり編集者気質ですよね。

小泉:そうですね。編集者に近いかもしれない。ちょっとオタク度があるみたいな(笑)。こっそり本づくりのスタッフをやらせてもらったこともあるんですけど、自分でもすっごく向いてると思った。「こういう絵が見たい!」ってなったら、見るために動き出しちゃう感じですかね。自分自身が表現したいとか、どうなりたいという感覚はあまりなくて。たとえば、自分で監督もやってみたい気がするけれど、見たい絵が出てきて、じゃあ誰に何をお願いするかってことを想像したときに、私自身が浮かんできたならやるかもしれない。そういう感覚でしか自分を捉えていない部分があって。そうやって小泉今日子というキャラクターをずっとコントロールしてきたところがあるかなという気がします。

— 求められるキャラクターを聞いて、期待に応えたり逆に裏切ったりしていたんですね。

小泉:まず、「条件を聞かせてくれよ」って感じです(笑)。「その条件を全部クリアするけど、私はこうやるよ」みたいなことを若いときからやってきていて、みんなに驚かれることはよくありました。

— 格好いいです。その話をちゃんと聞いた上で主体性も曲げないというスタイルは子どもの頃からでしょうか?

小泉:どうなんでしょう。どっちかと言えば、内向的なタイプの子だったと思うんですよね。周りの友達がどう思っていたかは、今となってはわからないですけど。ただ、大人や人から価値観みたいなものを押し付けられることをすごく嫌っていました。自分の価値観でしゃべっていたから、学校の先生や近所のおばさんとも対等に話をしていました。相談事をされることもよくありましたよ(笑)。

— そのしっかりさんな部分は、環境から育まれたものなのでしょうか?

小泉:私は5人家族で3人姉妹の末っ子なんですけど、生まれた時点で、「まぁ全員の役割が決まっているな」という感じがあったんですよ(笑)。「ということは……、どこが正解?」とまず考えるという感覚を持っていたかもしれない。家族が4人で成立していたところに入ってきたから、「何が正しいんだろう?」という感じで家族のことを見ていたのかもしれない。

— できあがっているところから入ると、確かに懐疑的にはなるかもしれないですね。

小泉:小さい頃、夜、ベッドで眠るときによく「私は誰なんだっけ?」とか「あの人たちは誰なんだろう?」なんて考えていました。家族のことは嫌いじゃなくて、仲は良かったんですけど、今自分が存在していることと現実があまり結びつかない感覚があって、夜中にそういう問いについて考えちゃうと眠れなくなったりした。小学校のときは少し夢遊病の気もあって、いつも寝不足で、忘れ物もものすごく多かった。学校の近くに住んでいたので、何度も走って忘れ物を取りに行っていましたね。集合場所に行くとみんなが笑っていて、「何?」と思ったら、スカートの下にパジャマのズボンを着たまま登校していたりだとか。いつも具合がよくない感覚があって、でもある日すごく具合がいいなと思って学校に行ってランドセルを開けたら、何も入っていなくて、「軽かったからか」ってなったり(笑)。

— 子どもの頃に、うっかりしている部分が多いと、しっかりしなくちゃという反動で後天的しっかりキャラが生まれると聞いたことがあります。

小泉:わかるかもしれない。特に男の人から家族構成や血液型を聞かれたときに、「なんだと思う?」って聞き返すと、「長女でしょう」とか「A型でしょう」とだいたい言われるんですけど、実際は末っ子のO型。たくさん失敗しているから、人前でちょっと「スン」とすましてしまうんでしょうね(笑)。ただ、急にすごい力を発揮したりもして。小さい頃は姉たちにいつも虐められていたけれど、姉が蝉を持った男の子に追いかけられて逃げているのを見たときすごく腹が立ったことがあったんです。いつも憎い姉のはずなのに、男の子の手から蝉をむしり取って、その子の背中に入れたりして、「小泉の妹こえ~!」とか言われていました。いつも大人しいのに豹変するので、みんな驚くんですよ(笑)。

個として立つこと、仲間がいること

— 俳優業をやりながらプロデュース会社を立ち上げる女性は海外では増えていますが、日本ではまだ珍しいんじゃないかと思います。

小泉:プロデュースをしている方はいらっしゃいますけど、会社をつくってまでやっている人はあまりいないかもしれないですね。これからきっと変わっていくんじゃないかと思っていましたけど、コロナ禍が全ての分野でいろんな問題を可視化させましたよね。これからは、本当に個として立つことと、どれだけ仲間がいるかということが重要という気がしているんです。

— それはコロナ禍以前から感じていたからこその起業だったわけですよね?

小泉:そうです。まず、個として立つことからがスタートかなって。「芸能界」という言葉はあまり好きじゃないけれど、日本の芸能界って日本の中だけで完結しがちじゃないですか。あまり、外に向かっていかない。コンプライアンスを守るべきという風潮もあってか、なかなか国内を超えていかない。たとえば、俳優という仕事も、家族を持ったら、その安定した生活を守らなきゃいけないからコマーシャルの仕事がなくなっては困る。それは労働として正しいことだとは思いますけど。少なくともアジア、特に韓国なんかはマーケットをどんどん世界規模に広げていて、セールスもきちんとしている。日本もそういう環境でものづくりができれば、もっと自由な生き方の中で表現活動ができるのかなとも思うんです。

— 実際に韓国は、ビルボード1位にアカデミー賞作品賞受賞と、国際的にエンターテインメントビジネスが成功していますよね。

小泉:ムン・ジェイン大統領は芸術にしっかりとお金を当てて、自国が誇る海外に輸出すべきものとして支えたことで、あれよあれよと『パラサイト 半地下の家族』(19)は最優秀作品賞をとりましたよね。一方で、日本は国も行政も、文化に対してあまり興味がなさそうというか、そこにあまり期待していなさそう。でも、自粛下で本当に文化を守ろうとする人たちのいろんな活動が見えました。それこそ深田晃司さんたちはすぐに「ミニシアター・エイド基金」として動いていらっしゃった。映画館の人たちも、心が折れそうでも待ってくれているお客さんたちが見えたことは、勇気となっただろうなと思います。

— 映画業界だけじゃなく、上演ができないということで、演劇業界もダイレクトに影響を受けましたよね。

小泉:本当にそう。私たちみたいにプロデュース公演をしていて、俳優一人ひとりにオファーをして、スタッフィングして、場所を借りて、という人たちは、こういうときに何もできないということを思い知らされました。10月に実は下北沢の本多劇場で上演の予定があって、女性ばかりが出る作品をプロデュースしていたんですけど、今回この状況下でその作品の上演は諦めることにしたんです。キャンセル料を支払って劇場を手放すこともできるんだけど、でも、何もやらないのはいかがなものかと。だから方針を変えて、最小限のスタッフで毎日日替わりの「明後日祭り」みたいなことをやろうと思って、友達に演目を募ったりしているんです。もう、フェスにしちゃおう!と。そんなことくらいしかできないけれど、スタッフや演者、お客さんも含めて劇場に行くためのリハビリテーションが必要だろうなと。少しずつ安心していくしかないので。いまは急遽バタバタとその準備をしていますね。

— 自粛中は演劇人も映画人も、配信を使って何ができるかということで試行錯誤していたように思います。

小泉:これからはきっと本当に新しいスタイルになっていくんだろうなと思います。演劇ですら配信を無視できなくなってきている。でも、配信の良さは、東京でしか公演できない演劇を、地方を含めたたくさんの人が観れて、いつか演劇を生で観ようと思ってくれる人が増えるという可能性が広がっていくことですよね。配信なら、劇場に来るのが難しい病院にいる人たちや家から出られない人でも演劇や映画を観ることができるし、自粛中はそういうふうにポジティブな側面も見ていくようにしていました。

— コロナ以前と以後で小泉さん自身の意識はそんなに変わっていないけれど、より前向きな意志が強固になっていったという感じでしょうか。

小泉:そうですね。前よりもっと自分で行動することが大事だなっていうことはより強く感じています。個人としても団体としても、自分たちが主体にならないといけないって。

オープンスペースとしての場づくり

— 明後日と並行して、「新世界合同会社」で映画もプロデュースされていますが、こちらはどういう経緯で始まったんですか?

小泉:新世界合同会社は、豊原功補さんが代表の映像に特化した合同会社なので、そこに私も参加させていただいているというかたちです。なぜ合同会社にしたかと言ったら、フリーランスのクリエイターの人たちもここを利用してもらっても構わないという場所にしたかったから。同じ志のある人はわりと自由にメンバーになれて、そこで映画をつくったりできるようになったらいいなって。

— オープンスペースなんですね。

小泉:そうです。もともと「外山文治監督からこういう映画をつくりたいという依頼がきているんだけど、お手伝いしませんか」というお話があって、「じゃあ会社をつくろう」となった。だから、新世界のほうでは、自分をアソシエイトプロデューサーと呼んでいまして、わりと事務作業が多いですね。

— 新世界合同会社第一回プロデュース作品である、外山文治監督の『ソワレ』(20)はどういった映画になりましたか?

小泉:本づくりから現場、編集、音楽までかなり諦めずにプロデューサーの豊原(功補)さんを中心に粘って粘って作品をつくり上げたので、既視感がありそうでない映画だなと。若い人のエネルギーが綺麗に映っている感じがしますよね。

— もちろん現場にも行かれて。

小泉:もちろん行っていました。ローバジェットの映画なので、私の主な役割はドライバーで、俳優さんを駅に迎えに行って、「コンビニに寄りますか?」とか言って(笑)。東京から6~7時間かけて、車で和歌山まで行ったりもしました。

— もしかしてハイエースでですか?

小泉:普通の車です。でも、ハイエースも運転できますよ(笑)。あとは俳優さんの事務所に連絡をしたり、和歌山での協賛者さんを募ったり、その後の御礼の挨拶回りだったり。撮影のためだけではなくて、何度も和歌山には足を運びました。一番安いホテルを探して、格安チケットを買ったりして。EX割が安いから専用のICカードをつくろうとか、そんなことばっかりでした(笑)。映画もだし、舞台も同じで、出張でどこかに行くとなったら、一番安く行ける方法をまず考える。自分のお金じゃなくて、大切な作品の予算だから。それはそれで楽しいんです。

— 坂元裕二さん脚本の明後日プロデュース舞台『またここか』(18)の上演の際も、小泉さんがロビーでチャキチャキと働いている姿が印象的でした。お客さんの顔を見れる距離だからこその対話も生まれましたか?

小泉:『またここか』の上演では、けっこう感動することがたくさんあって。それも、きっと坂元さんのファンの方は、心の機微を感じる細やかな人が多いからなんだろうなと。台風が迫っていて電車が遅れた関係で、開演時間が遅れていたときに、すごく大きなリュックを持った女の子がすごい勢いで走って中に入ってきて、あまりに慌てていたからチケットがすぐ出てこなかったんです。私が、「まだ大丈夫だよ。始まっていないから」って言ったら、その子が安心したのか座り込んで泣きだしちゃって。そうしたら、おじさんとおばさんも、もらい泣きしちゃって(笑)。別の日も、空き時間に若い女の子が来て、「昨日ここに自転車の鍵を落としちゃったかもしれないんです」って言うので、中に入ってもらってみんなで探したんだけど見つからなくて。「大丈夫です。諦めます」って帰って行ったんですけど、何日かしてその子が菓子折りを持ってもう一度来てくれて、「自転車の鍵があったんです! お騒がせしてすいませんでした」って言って。人間っぽいなっていういい話がたくさんあった。坂元さんも毎日ロビーに来てくれて、みんなにサインをしてくれて。舞台って「関係者以外は入っちゃダメ」という風習があったりしますけど、場合によってはこういう温かいムードは取り戻してもいいんじゃないかな、と思いましたね。

— 舞台はまさに、人と触れ合える場所ですもんね。

小泉:テレビや映画でも観てくれた方たちがずっと大事にしてくれる作品はもちろんあるけれど、私が舞台を好きだなと思うのは、本当にその人の生のエネルギーが目に見えるような気がするからなんです。もちろん、映像でもそのエネルギーは見えるんだけれど、人間ってすごいな、人間って綺麗だなと舞台が一番感じさせてくれるんですよね。その人の力が見えるというか。だから、「板」に立つ人は限られるのかもしれないと思ったりもするんですけど。そういうのを是非観てほしいなって。それと、舞台って、役者にとってものすごくステップアップできる経験なんですよ。テレビや映画だとよほどエキセントリックな役じゃないと発揮できないような、自分の声の大きさだとかエネルギーの大きさを知ることができる。「私こんな声が出るんだ」とか、そういう部分を映像にフィードバックすることができる。

— 映像と舞台の演技は別物と俳優のみなさんおっしゃいます。

小泉:日本の俳優さんは、プロになってからスキルアップする機会がなかなかないという状況があって。体力づくりでジムに通ったりはするかもしれないけれど、プロになってから演技のワークショップに行ったりするという機会は、私もあまりなかった。でも、舞台を経験することがレッスンになったと思う。演出家や役者さんによってウォーミングアップのやり方も違えば、求められることも違いますし、その求められたやり方で毎日訓練のように稽古して、本番中もそれを突き詰めていくことができる。そういう経験は、舞台だけかなと思います。

街の商店街のような温かい気分で楽しめることを

— 今後、プロデュースする作品で主演する可能性もあるんでしょうか?

小泉:最初にプロデュースした舞台『日の本一の大悪党』(16)では、私は出るつもりはなくて、具体的に女優さんの名前も提案したんですけど、本を書いてくれた山野海さんに「あんたがやんなきゃ」と言われて、「わかったよ」と渋々出演したんです。今年の10月にプロデュースを予定していた公演にも自分が出演する予定ではあったんです。今後はもっとそういう機会も増えるんじゃないかとも思っています。去年の夏は、鹿児島のグッドネイバーズ・ジャンボリーに俳優仲間の瓜生和成さんとお出かけして朗読をしてみました。たとえば映像のお誘いがあって、この作品は確かに私がお力になれるかもしれないと思うものがあれば、全然やろうと思っています。

— 小泉さんがプロデュースをするときに、大切にしていることはありますか? 

小泉:うちでプロデュースしている『名人長二』(17)『後家安とその妹』(19)は、幻の落語を演劇化する「芝居噺」という豊原(功補)さんの持ち込み企画で、『またここか』(18)も坂元(裕二)さんから「舞台がやりたいんだけど」と、お話があってスタートした。せっかくプロデュースをやるんだったら、どういうふうにみんなが気持ちよく千秋楽を迎えられるのかということしか、いつも考えていないですね。

— 信頼している作家やスタッフと仕事をしているからこそ、そう思うんでしょうね。

小泉:そうですね。満を持して自分の企画を10月にやろうと思っていたら、コロナで延期せざるを得なかった。私が企画を立てると、何かが起こって必ず延期になるんです。自分の企画をやりたくて会社をつくったのにね(笑)。

— でも、またいつか上演されるんですよね?

小泉:もちろん、絶対にやろうと思っています。でも、明後日という場所を使ってもらえること自体も私の喜びだったりするので、その期待には応えたい。 坂元裕二さんが詠んだ言葉を満島ひかりさんが読むという朗読公演『詠む読む(よむよむ)』や、トークショー「坂元裕二の残業」もうちの会社でやらせてもらっているんですけど、スタッフも少ないしどこでもできる朗読なので、地方をまとめて周ったりすると、若いファンの方たちがこれを機に、とひとりで旅しに来てくれたりするんです。舞台をつくっていると、誰かの何かの一歩になっている実感があるんですよね。高校生くらいの男の子が舞台というものを初めて観て、「こんなに鳥肌が立つものだとは思わなかった」と言ってくれたりする。でも、もうその子の人生はそこで実はちょっとだけ変わっている。そういうことが喜びなんです。去年、下北沢の小劇場楽園という劇場で森岡龍さんと『業者を待ちながら』(19)というお芝居をつくったんです。うちの母は80代ですけど、母と叔母、70、80代の人たちが人生で初めて小さい劇場でお芝居を観て、「こういうところもいいわね~」って言って、電車に乗って帰っていきました。なんていうか、ご近所さん同士が温かい関係の商店街みたいに、誰かにとっての初体験や行動の範囲を広げることができるといいなと思っています。

会社として、あと10年走り続けたい

— 今までのお話を総合すると、小泉さんの会社でザ・エンターテイメントみたいなものをプロデュースすることはなさそうな気がしました。

小泉:それはそんなに得意じゃないかもしれないな。超大作みたいなハリウッド映画はすごく苦手で、長い間観ていないんですよね。でも勉強のために観なきゃとも思うし、観てよかったというものももちろんあります。でも、なんとなく自分には直結しないというか。私が若いときは、ミニシアターができたばかりの頃だったので、ヨーロッパ映画や日本映画でも単館系の作品に心を強く動かされたんですよね。ミニシアターができたことで、昔の映画もリバイバル上映でたくさん観れるようになって、そういうものに世界を広げてもらった。Netflixオリジナル映画『マリッジ・ストーリー』(20)や『ROMA /ローマ』(20)がアカデミー賞にノミネートされたことで、すごく映画界も変わってきているなと感じました。これまでは、ハリウッドで制作するとなったら、プロデューサーから「それじゃあお客さんが入らないから、ガーンってやっちゃえよ!」って言われたんだろうなって感じちゃう映画もたくさんあった。でも、NetflixやAmazonが映画製作に参入して、「好きなのを撮っていいよ」となっているから、映像はもちろん、テキストもちゃんとしたドラマがつくれるのかなって。

— 配信もよく観られているんですね。

小泉:韓国ドラマもよく観ます。「トッケビ~君がくれた愛しい日々~」(16)とかNetflixオリジナルの「椿の花咲く頃」(19)とか。そういう少女漫画っぽいものも好きですよ(笑)。

— お仕事をしながら、インプットする時間はどうやってやりくりしているんでしょうか?

小泉:ここ数年は、人並みに土日があることがありがたいなと思うんです。俳優業がメインだったときは、土日が休日だという感覚がなかったんですよね。自分の会社があるから、それを生まれて初めて感じているんです。たまに仕事が入るときもあるけれど、土日は基本的にお休みにしているので、「さぁ土曜日は何をしましょう」「映画を観に行きましょう」という気分になったりだとか、「今日は本を読もう」だとか。そういう感じですね。平日でも、新宿で打ち合わせならついでに映画を観ちゃおうかなとかもありますが。その日に社長としての仕事が残っていなければ(笑)。

— これまでよりも、プロデュース業をメインとする今のほうが自分の時間をコントロールできるというか、有意義に過ごせていると思いますか?

小泉:俳優業は、たとえばドラマの撮影が入っていると、その時期は毎日早起きで、遅くまで収録して、いつ休みなのかも事前にわからないんです。髪の毛を切りたくても、スケジュールがなかなか決まらない。だけど、撮影が何もなくて休みになったらずっーと休み。だから、自粛生活のときに、ずっと寝っ転がっていたって大丈夫というこの感覚は懐かしいなあと思って。基本的に、お休みの日に積極的に人と会うようなアクティブなタイプじゃないから。自粛時にインスタグラムなんかでみなさんお料理をアップされたりしていて、偉いな~って。「誰かこの美味しそうなお料理家に持ってきてくれないかな」なんて思っていました。

— ダラーンとゆっくりすることはありながらも、好きを仕事にしている人は素敵だと思います。

小泉:好きな仕事をしていて、「その仕事が好きだ」と言っている人は素敵ですよね。女性でも男性でも。好きで何かをやっている人は強いなと思います。私、会社として、あと10年だと思っているんです。普通に会社に行っていたら60~70歳が定年だとして、自分もあと10年経ったら64歳だから、それまでは走っちゃえって感覚だったんですけど、おまけがあってプラス6年であと16年やれるとしたら、一生懸命走ってゼェゼェ言って死んじゃえばいいやって感じですかね。

— 80代で現役の女性もいますし、16年よりもっともっと走れるかもしれないですよ。

小泉:走れるかな。でもそんなに走りたくない(笑)。スピードが遅くならないままで死ねたらいいなと。その一方で、どんなときでもずっと寝っ転がってテレビを観ていたいという気持ちもあります。それくらいがちょうどいいかなって思いません?

— 思います。寝っ転がってテレビを観ていることだって結局永遠にはできないですしね。

小泉:そう。だからその気持ちを持ちながら、「しょうがないなぁ~」と思って仕事をして、でも仕事をしてたら5分くらいで楽しくなってきちゃって、ガーッ!とやって、家に帰って「疲れた~!」って言いながらテレビを観ての繰り返しなんです(笑)。

何かがピンと降りてくる瞬間が一番楽しい

— 仕事をしていて一番楽しくなっちゃうのはどんなときですか?

小泉:発想ですよね。発想が生まれる感覚が楽しい。文章を書いたり、メールの返信ひとつでも、企画書を書いているときに、「ピーン! 繋がった!」みたいなその感覚が楽しい。急に「絵が見えた!」みたいなワクワクする感じ。完全に絵が見えるから、これはいけると思える瞬間。作家の人がよく言うけれど、考えて考えて考えてそこから手放したときに、テレパシーじゃないけどスッと何かが降りてくる感覚が一番楽しいのかなと。それはわりとひとりの作業のときが多いのかもしれない。

— 一度手放してしまう。「私の!」というエゴをなくすという感じですか?

小泉:自分のものじゃなくしたときに、ズンと降りてくる感覚があるじゃないですか。テレビの番組で観たのですが、倉本聰さんも、又吉直樹さんもそうおっしゃっていました。それを芸術って呼ぶんじゃないかなと私は思うんです。生きている人の肉体や思想、脳みそを媒介して、何かを降ろしてくるような。だってほら、太鼓も神事のときに使われていたし、西洋音楽も教会とかから生まれたような気がするから、巫女さんやまじない師みたいなことから、もしかしたら芸術が始まったんじゃないかと。

— 自分のコントロールできないところから降りてくる何か、ですね。

小泉:それをどういうふうに自分がキャッチできるか。それはみんな感じるんじゃないかな。言葉を使う人も音楽を奏でる人も映像をつくる人も。そんな気がしてならないんです。だから、昔の富裕層はアーティストを囲って贅沢な遊びをしたんだと思う。絵を描かせたり、音楽をつくらせて奏でさせたり、日本でも、お寺に絵を描かせたり、教会で石を彫らせたりしていたわけだし。そのピンと来る何かを翻訳できる人が芸術家なのかなって。

— それを翻訳できるって、ちょっとした特殊能力というか。

小泉:さっきお話した、10月に予定している明後日のお祭りの企画書を書いていて、「asatteFORCE」というタイトルが降りてきたんです。フォースって普通に訳すと物理的な力を意味するんだけれど、『スター・ウォーズ』の中では超常的なエネルギー体として使っていますよね。テレパシーだとか念力だとか予知力だとか。演劇でやっていることはそれに近いと思っていて、だからシェイクスピアの書いたものを100年後の私たちも同じ思いで同じ問題として捉えることができる。たとえばキャラクターが笑っていても、実は悲しいのだということをお客さんがキャッチできるのは、もはや念力なんじゃないのかと。結局、テレパシーも役者同士間でもお客さん同士間でも行き交っていて、みんな台詞以上のものをキャッチする。間にしたってそうじゃないですか。だから、「asatteFORCE」というタイトルにして、そういう力を使ってみんなでやるよ!という気持ちです(笑)。

— 100年前にシェイクスピアが書いたものを、時代時代で何度も上演できるのも、舞台だからこそできる力だと思います。

小泉:ずっと受け継がれるんですよね。映画でも、たとえば50年前の映画に感動することができたりするから、同じような作用があるんだけど、演劇は言語も変え人も変え時代も変え、でもずっとシェイクスピアをやっている。それって面白いですよね。今私たちがつくっているものだって、下手したら100年後の人が観るかもしれない。

— そういう思いで、舞台人は見えないエネルギーを行き交わせているわけですね。

小泉:文章を書く人や絵を描く人や音楽を奏でる人はひとりでも降ろす力があるけれど、演劇って、舞台上の人やスタッフ、お客さんも含めて小さな力を持っている人たちが一斉にガッと集まったときに、ボンッと生まれるものな気がします。

小泉今日子 (こいずみ・きょうこ)
1966年2月4日生まれ。16歳で芸能界デビューし、歌手、俳優として活躍する一方、株式会社明後日代表取締役として舞台やイベント等の開催を精力的に行っている。著書に、エッセイ『黄色いマンション黒い猫』(スイッチパブリッシング)などがある。新世界合同会社としてプロデュースした映画『ソワレ』が8月28日から公開。「asatteFORCE」の詳細は、株式会社明後日ホームページ(https://asatte.tokyo/)から。