第十二回特別対談 町田康(作家・ミュージシャン)× 岡部たかし(俳優)

5年ぶりの再会と初の対談。

岡部たかし(以下、岡部):ずっと町田さんの作品のファンだったので、今回の対談オファーを受けていただけてまずはすごくびっくりしました。えげつないくらい緊張しております(笑)。僕、町田さんにサインをいただいたことがあるんです。何年か前に友人と熱海に行って、午後の海辺でボーッとしていたら、スピンクを連れた町田さんがいらっしゃって。

町田康(以下、町田):海で散歩してたんですね、そんなことがありましたか。

岡部:嘘やろ、まさかまさか、と思ったんですけど、スピンクも一緒にいるし間違いないだろうと意を決して近づいて、熱海で読もうと鞄に入れていた『どつぼ超然』にサインをいただきました。平成27年10月5日の日付入り、ちょうど5年前の今日です。
8年前には同じポスターにサインもしています……東京芸術劇場リニューアルの公演で、町田さんは前田司郎さんと朗読をされたんですけど、その数日前に僕もコントみたいなことをやったんです。

町田:コントですか、いいですね。前田さんも演劇されてますけど、あのときは作家としての対談で、朗読もやってくれと言われて。

岡部:僕ももちろん観に行かせていただいて、そのとき、町田さんがめちゃくちゃ笑いをとってたんです。

町田:何やったか覚えてないな……。

岡部:町田さんは『東京飄然』を、前田さんもご自身の作品を朗読されたんですけど、そのあとのトークで前田さんが「負けた負けた」ってずっと言って、「勝ち負けちゃうやん」「いや、師匠と呼ばせてください」って(笑)。

町田:それからなんの付け届けもないですけどね(笑)。あのときは、リハーサルがあって、音響や照明も緻密に調節してもらって、そんなんいらんやろと思ってたけど、朗読を始めたら自分の声が耳に感じいいんですよ。音楽のライブともまた違って「これが演劇や」と思いました。

岡部:音響の効果で気分が上がったんですかね?

町田:音の、微妙な調節が違うんでしょうね。聴くほうも聴きやすかったと思うし、音響の重要性というものを知りました。それからは朗読会に呼ばれても「音響と照明もっとちゃんとせな」なんて言ってます(笑)。

大阪と和歌山と東京。

町田:岡部さんは、もともと関西ですか?

岡部:和歌山の市内です。大阪との県境で。

町田:ああ、じゃあ近いですね。南方熊楠の生涯を描いた映画を撮っていたときに、南紀のほうは車であちこち行きましたよ。当時は羽田から南紀白浜空港に飛行機で行っていたんですけど、なんかすごい時間がかかる。普通に考えたら近いはずやのに3〜4時間かかるんです。

岡部:東京から和歌山は、九州や沖縄に行くより遠いってよく言われるんです(笑)。

町田:そのころはまだ空港が拡張する前で狭くて、プロペラ機しか着陸できない。今はもうないと思いますが、YSという国産プロペラ機で、いつかぶつかるんちゃうかと思いながら行き来してました。

岡部:怖いですね(笑)。映画の撮影というのは結構前ですか?

町田:そうですね。山本政志監督の『熊楠 KUMAGUSU』という作品で90年代の初めかな。僕も何本か映画に出たりしましたが、どうも向いてなかったみたいです。岡部さんはずっと俳優として?

岡部:和歌山で一旦就職して、24歳のとき、1996年に東京に出てきて〈劇団東京乾電池〉に研究生として入ったのが最初です。

町田:オーディションを受けられたんですか?

岡部:はい。座長の柄本明さんの前で即興劇をしたり、特技をやれって言われて、和歌山にいたときに尾崎豊のモノマネをよくやっていたのでそれをやりました。「I Love You〜」って、柄本さんの至近距離で歌ったんですけど……僕は真剣なんですが、柄本さんもみんなもずっとケラケラ笑ってるんですよ。なんでかな、と思いながら2番まで歌いきりました。

町田:よう通りましたね(笑)。笑われてもやめずに歌いきったのがよかったのかな。

岡部:あかん感じといいますか、やりきる感じを面白いと思ってもらえたようで無事に合格しました。

町田:そもそも、たくさん劇団があるなかでどうして〈劇団東京乾電池〉に?

岡部:柄本さんの芝居が大阪に来たときに観にいったら、めちゃくちゃ声がちっちゃくて、ああこういうの面白いなと思ったのと、あとは月謝ですね、月1万円で安かったというのが一番の理由でした。入る前は、どんな役者になりたいのか、なんて考える以前の、もっとふわ〜んと芸能界というものに憧れていたような感じで、でもどうやったら役者になれるかもわからなくて、同じ和歌山出身の小林稔侍さんに「鞄もちさせてくれ」と手紙を出したりもしてました(笑)。

町田:ほんまに田舎の子や(笑)。じゃあ劇団に入ったときは、周りともギャップがあったでしょう。演劇論とか語るやつもいるだろうし。

岡部:はい。僕は小津安二郎や黒澤明の作品も観てなくて、戯曲もこっちにきて読み始めたくらいでしたから。いろいろ知るのが遅かったです。

町田:そこが面白そうだと思われたんですねきっと。最初から理屈じゃしょうがないしね。文学理論を勉強したら小説書けると思ってる人がいますけど、あれだって、できあがったもんに対していろいろ言ってるだけで、死体をいじくりまわしてるようなもんだから。

岡部:確かに、色がついていないというのは合格の理由にあったみたいです。それで最初の1年は勉強して練習して、経験もまったくないんですけど短い台本を自分らで書いて作って発表したりして。1年の最後に卒業公演があって本所属になるかどうかが決まるんですが、その公演では台本も担当したのにまったく書けなかったんです。このできによって、みんな残れるか残れやんかが決まるっていうプレッシャーもあって、52キロくらいまで体重が減り、十二指腸潰瘍になりました。

町田:台本を書くのと演じるのとは別の才能だと思うんですが、両方やるんですか?

岡部:何人かが手を上げて、俺やりますって。

町田:自分からいったんや。

岡部:夏の中間発表でも15分くらいの台本を立候補して書いていて、それで最後も、って指名されたんだったかな。夏のときは和歌山を舞台に、僕が演歌歌手になってみんながお別れ会を開くという話で。

町田:すでにうっすらおもろいですね。

岡部:最後にみかん箱を見ながら泣くっていう……。本当に下手くそでした。

町田:不条理劇だ。今でも書かれるんですか?

岡部:いえ、今は演じるのと、主宰している〈切実〉という演劇ユニットでは演出も担当しますが、台本は人に書いてもらっています。

演じる身体と感情の話。

町田:演じる人ってすごいなと思うのは、台本を読んで、ちょっと違うな、言いにくいなと思うことがあっても、じゃあそれをどうやって不自然でなく演じられるかを考えますよね。

岡部:そうですね。でも、演劇って自分が思ってないことを言ったりやったりして、結局嘘をやってるわけじゃないですか。だから、さらに嘘をやるとセリフが出てこなくなってしまうというのはあります。

町田:さらに嘘をやるっていうのは?

岡部:演じてるそのときは、自分にとっては本当にならないとできないというか。たとえば、自分はこのセリフやったらこんな大きな声出せへんな、と思ってるときに「もうちょっと大きい声で」と言われてやると、何の感情もなくなってしまったりするんです。オウム真理教の事件を扱うドキュメンタリードラマで被告の役を演じたときに、クライマックスの「慟哭の裁判」の場面で、慟哭というくらいだからものすごい泣かなあかんと思ってるのにまったく涙が出てこなくて。でも抑えて、自分のトーンでやったらめちゃくちゃ泣けて、そこから自在になったというのがありました。自分じゃないものを出そうとするとうまくいかないということなんだと思います。

町田:言葉の、イントネーションの問題はどうですか?

岡部:セリフ覚えるときにわからなくなって「これ語尾上がるの? 下がるの?」と人に訊いたりは今でもしますね。町田さんも標準語で話されることってありますか?

町田:中原中也を朗読するときなんかは、大阪のイントネーションだと感じとれないので標準語にしますね。以前、NHKにナレーションを頼まれたときは関西弁一切無しの状態でやりました。

岡部:あまり気にならないというか、問題はないですか?

町田:ナレーションはそんなに感情を入れるわけでもないから、ちゃんと伝わるよう声を出そうという感じでした。上手い下手やアナウンサー的な明瞭さとは違った、伝わる言い方、伝わらない言い方ってあるじゃないですか。相手が伝える気もなく喋ってて、何言うてるかわからんときとか、詐欺師が説明はしてるけど口の先で操作しながら、わざとわからんように言うてるときも、もやっとして頭に入ってけーへん。朗読でもそれは同じで、技術とは別の、伝えようという意志の有無なんでしょうかね。

岡部:うーん、なるほど。

町田:役者さんの場合は身体の動きもありますけど、僕の場合、言葉を声に出してみると、自分が書いたとか自分がどう思うとか、関係なくなると感じる瞬間ってあるんですよ。石牟礼道子さんの詩を朗読したことが何度かあるんですが、感極まって泣きそうになるんです。読むとガーンとくる。声詰まったり、これバレるわっていうくらい泣いてしまうこともある。それは内容に共感してるとか、書かれている意味がいいとか、自分の状況に重ね合わせて感情が動くんだとか思われがちで、以前は僕もそう思っていたんですけどどうもそうじゃない。理屈は関係ない、詩の種類にもよるんでしょうが、言葉が音楽みたいなもんやって思ったんです。

岡部:演技の話ばかりで恐縮ですが、感情からかそれとも身体からかみたいなメソッドの話ってあって、どっちかっていったら僕は身体からやと思ってるんです。だから泣くシーンなら、喉に指入れてえづいてでも、涙さえ出ればその涙に感情が引っ張られていく。怒りもそうですけど、どんな理由でも怒ることさえできれば、そこからどんどん怒っていける。

町田:落語家の桂枝雀が、面白いから笑うんじゃない、笑うから面白いんだ、という意味のことを言っていましたが、確かにそれも、感情ではなく身体からなのかもしれません。

岡部:町田さんが小説を書かれるときは、演じられるわけではないじゃないですか。頭の中で、あるいは声に出してみたりもするかもしれないですけど、どんな風に感情を入れていくんですか?

町田:ストーリーの都合上こうなったほうが話が流れる、みたいな理由で人を動かすと不自然になってしまうんです。僕も書いていて面白くないし、おそらく読む人も面白くない。人間の自然な感情の流れというものがやっぱりあるんですよね。
ただ、ただですよ、じゃあ人間が自然な感情のまま生きてるかっていうとそれは違うんですよね。自然な感情を押し殺すこともあるし、自分が何かを感じていても、それを直視しないようにしてるうちに本当はどう思ってたかがわからなくなってしまうこともある。こちらの方が多いかもしれませんね。だから、こういうとき人間は本当はどう思ってるんだろう? ということは書きながらいつも考えています。馬鹿馬鹿しくて笑うようなことばっかり書くにしても、自分を含めた人間の自然な感情から極端にかけ離れたものは面白くないんです。ナンセンスとかギャグとかはいいとしてもね。

岡部:それは、狙いとしてあえてのものですもんね。

町田:そうじゃない場合は、感じているはずなのに見ないようにしていることから引っ張ってくる。どうやっておもろいこと思いつくのか? と訊かれたら、「自分で考えてみ、絶対おもろいこと考えてるから」と。それをみんな、かっこつけて、ただ言わんようにしてるだけなんですよ。

岡部:かっこつけてまうのをできる限りなくしていくっていうことですか?

町田:そうなんです。小説書かれへん、歌詞書かれへんって言う人には「思てることそのまま書けばええがな、そんならできるやろ」と思うんですが、きれい事や道徳のストッパーが頭の中に二重にも三重にもかかってしまって、思てることにたどり着かないんですよ。

岡部:わかる。わかります。

町田:これはいろんな世界に言えることじゃないですかね。俳優も、かっこつけてたらでけへんでしょ? フィクションを作ろうと思ったらそのストッパーを外さないと。でも人間って、めちゃくちゃしょうもないことしか思てないんですよね(笑)。アホやんと思われるから書かれへんと言うけど、書いてみたらおもろいんですよ。みんなアホやから。賢いこと書いてもおもろない、共感でけへんのですよね。

岡部:そうか、だから町田さんの小説は笑えるんですね。唐突に「草木染めか泥染め、をしたらどうだろうか」とか。あれ「山羊経」でしたっけ。そうか、それが人間やからか。

町田:草木染め、書いた書いた(笑)。『記憶の盆をどり』に入ってる短篇です。
作家の山下澄人さん、あの人も演劇の人ですが、対談で言っていたのが、山下さんの親父さんが嫌ってる人がいて「俺ぁあいつのな、顔が嫌いや」と言ったと。普通だったらそれ言わへんやないですか。

岡部:言いませんよね(笑)。でも人を嫌う理由なんてそんなもんかもしれない。

町田:道徳的に誤ってるとか、神の正義に照らして間違ってるとか、理屈はつけたとしても、根底はそういうところにあると思うんです。人間の社会的な行動を決めるのも、理想か感情かっていったらほとんど感情なんじゃないでしょうか。そこが面白い。書いても面白い。だから下世話っていうか俗っていうか、まぁ悲劇にはなりません、喜劇にしかならないんですよ。

岡部:町田さんの小説には、どっかこう、哀愁みたいな情けなさみたいなものもあって、それがまた笑いになりますよね。ちゃんと生きれば生きるほどどつぼにハマるじゃないですけど。それがすごい面白いので、どうやって書かれているのかという一端を知ることが嬉しいです。

書いて笑い、読んで笑う。

岡部:町田さんは小説を書きながら、ご自分でも笑われてるとか……?

町田:笑いながら書いてます。面白いこと書いてるときはニヤニヤしてしまうし、かなり気持ち悪いと思う(笑)。岡部さんはどんな小説読まはるんですか?

岡部:町田さんの影響を受けて、太宰治とか、最近だと、コロナの自粛もあって『平家物語』に挑戦してました。

町田:おお『平家物語』。太宰もいいですね。ちょっと仕事で確認しとこ、と開いても太宰はつい読んでしまう。長いこと読まれている小説っていうのはやっぱり語り口調がいいんですよね。

岡部:西村賢太さんも読みました。

町田:賢太、いいですねえ。

岡部:町田さんの小説だと、いやもうこれは誰もが言うてると思うんですけど、『告白』は!! 本当にもう! 最後の何十ページだけでも、と何回でも開いてしまいます。

町田:それは嬉しいですね、あんな長い小説を。

岡部:最後の「あかんかった」までのくだりがもう……すごく好きです。『告白』や『夫婦茶碗』は、おもろいからほんま読んで、と友達にもよく貸し出しています。『夫婦茶碗』のあの、ずーっと自問自答しながら卵並べ替えたり、ちゃわおっしゃーとか、登場人物が真面目に考えてるから読んでるこっちもどんどんおかしくなっていくという面白さ。

町田:面白くしようと思ってやることって面白くないっていうことなんやと思います。僕も関西の出身ですから、やっぱり笑いへの指向性がある。深刻なものってイマイチ、日常の中で見てどんな気分になっていいかがわからないんです。演劇でいえば、子どものころ一番観てたのは〈吉本新喜劇〉と〈松竹新喜劇〉で、吉本の新喜劇が圧倒的に好きでした。松竹は古典からの引用もあったし教養が必要で、子どもには難しかったんですよね。

岡部:僕らも、演劇で笑わそうとはしてるんですけど、ここは深刻にしゃべったほうがアホにみえるぞ、とバレないようにやるというか、ほらアホでしょ! ってやるのは違うなと思っちゃうんです。
今ふと思い出したんですが、ときどきご一緒する山内ケンジさんが監督した『At the terraceテラスにて』という舞台が後に映画化された作品があって、僕も出演させてもらったんですが、豪邸のテラスだけで繰り広げられるお話で、町田さんの『湖畔の愛』と同じくワンシチュエーションで進んでいくものなんです。

町田:グランドホテル形式とも言うらしいですね。『湖畔の愛』はこれはね、〈吉本新喜劇〉です。

岡部:ボケツッコミの話ですもんね。これどういう話になるんだ、文字でどうやってドカーンって笑わすんだ、どうやって終わらせるんだ、とすごい興味をもって読みました。表題作の、伝説の芸人がコンマ何秒ずらしてとかってどういうことになるんかなと(笑)。

町田:あれは1冊分書くのに4年くらいですか、発表の間があいてますからね。小説はどうしても長期戦になるんで、いかに自分に持続性をもたせられるかが大事で。集中して書ければいいんですけど、どうしてもいろいろ仕事があって分散しますね。

小説の執筆は演劇の本番。ライブだ!

岡部:『ギケイキ』に『漂流』、WEB連載もされてますが、切り替えってどんな風にされてるんですか。

町田:自分でも小説書く前は、どうしてるんやろと思ってたんですけど、やってみると、人間の頭のなかに立つパーテーションって結構すごいなと思うようになりました。これは自分の才能というわけじゃなくて、人間の脳の構造自体、かなり切り分けられるようになっているんだと思います。小説、音楽、歌詞を考えたり、あーアイロンかけなとか、人はいろんなことを考えるじゃないですか。それはそのときそのときで分けて考えられていて、始める前にコンディションを整えるというか、やる気にさえなれば意外にスっと集中できる。

岡部:こっちで書いてるものがどんどん面白くなって、別の作品はなかなかうまいこといけへんなっていうときはどうされますか?

町田:やりだしたらだいたいなんでもおもろいんです、自分の好きなことしか手つけてないんで。演劇なら、本番の時間って特別じゃないですか。練習してるときとは違う種類の時間になるじゃないですか。書いてるときの時間って、演劇でいう本番なんです。ライブなんです。こっちの気持ちと体力さえ整えば。始まってしまったら……

岡部:もうやるしかない!

町田:そう、やるしかない(笑)。

岡部:舞台上で、あかんなーどうしよう、とは言えないですもんね。

町田:相手役が違うセリフを言っても対応しないといけない。その本番が、僕らの場合は1年とか2年とかかかるので、生きていかなあかんから別のこともするけど、始まったらまた本番。休憩入れながら1年間舞台やってるような、そんな感じですね。

岡部:うわあ。そう考えると『ギケイキ』なんて、2013年から本番が続いてるんですね。途中まで『文藝』でも追っていたんですが、やっぱり単行本で読みたくて、今は3巻を待っています。

町田:3巻は来年になりますかね。『義経記』が巻8まであって、今やっと巻5が終わったあたりで6がまるまる残ってますから。この巻5〜6が『ギケイキ』の3巻にあたります。まぁこの作品は最初から、時間かかるって言ってるんです。掲載誌も季刊の年4回ですから。舞台でも、劇場を決めるのってかなり前でしょ?

岡部:そうですね。

町田:劇場を押さえてから何やるか決めるって、結構プレッシャーですよね。

岡部:そうなんです。でもチラシやポスターも作っちゃって。

町田:タイトルも先に決めて、進んでいったら、あれ、タイトルこれ違うなってこともありそうですね(笑)。

岡部:ありますあります。でも案外、観客は意味を無理やりにでも結びつけてくれたりしますね。

町田:それも大事なことですよね。小説も舞台も音楽も、なんでもそうですけど、クリエイティブな受容というのが必要やと思うんです。これってこうやな、って自分で組み立てる読み方をあまりみんなやらないのは、正解があると思ってるからなんですよね。作者が本当に言いたかったことはなにか? それが正解で、自分の解釈は違うと思ってしまうんだけど、そんなことはない。解釈も、自分のなかでぴたっと辻褄が合えばそれはその作品にたいするクリエイティブな読み方のひとつなんですよ。途中で破綻してたら、それは単なる思いつき、誤解や誤読にすぎないんですけど。
「こう思わせたかった」っていうのは、作り手としては持っているかもしれないけど、読み手や観客にとってスポンと落ちるところにはまっていれば、それも正解。あらかじめ評論なら評論を読んで、これは感動するやつ、これは泣くやつ、って粗いプリセットに落とし込んでいくより、その人なりの繊細な見方をしてもらったほうが僕は嬉しいですね。

岡部:確かにそうですね。わからんかった、でも周りはみんなおもろいって言ってるなぁというのもありますよね。自分だけわからんってアホやと思われるちゃうかとか考えたりして(笑)。あとは、わからんのだけど面白いっていうのも。

町田:あるある。理屈では理解できへんのやけどなんか好きとかね。

岡部:言葉にしたら難しい、なんちゅったらええんかなってなりますけど。

町田:それを言葉にできるのが、まあ批評家とか評論家になるんでしょうね。

演劇と小説の、物語の進み方。

町田:岡部さんの活動としては、どんなことをされてるんですか?

岡部:ドラマや映画に出たり、今年はコロナ禍だったので、山東京伝の戯作を演劇ではなく朗読で発表したりもしました。12月半ばには久しぶりの舞台があります。まさにこの本多スタジオで稽古をやる予定です。よかったらぜひいらしてください。

町田:それは岡部さん主宰なんですか?

岡部:いえ、演出家の山内ケンジさん率いる〈城山羊の会〉の公演で、淡々とした会話劇です。「石橋けいの『あたしに触らないで!』」というタイトルなんですが、山内さんは、最初20ページくらい書いて、あとは稽古を見て、役者の声を聞いて台本を書いていかれる方なんです。答えがまったくわからんまま書いていくから、そんなつもりじゃなかったことが起きたりする。

町田:どれくらいの長さなんですか?

岡部:1時間半くらいですね。

町田:ずっと会話していても最後は終わらなあかんじゃないですか。話して「じゃあほな」みたいな?

岡部:合間にちょっとした事件は起こるんですけど、「こういうことだったよね」とまとめるようなことはあまり書かないタイプの方ではありますね。そのまま終わっていく感じです。町田さんは終わりをある程度決めて小説を書かれるんですか?

町田:ものによりますね。たとえば原稿用紙30枚の小説を頼まれて、いつも書いている純文学系とは違うエンターテイメント系の雑誌なんかだと、話をある程度速く展開しないとな、とは考えます。僕はどうしてもどんどんどんどん細かく書きたくなってしまうんですけど、キリがないし30枚では書ききれない。まだここやと終わらへん、あかん、と思いながら速度を上げてとばすように書いていくんですけど。

岡部:登場人物がこうしゃべるとこうなる、これが出てくる、と長くなっていくんですか?

町田:そうですね。パラパラ漫画でコマが少ないと動きがギクシャクするようなことで、人の心理の動きをなめらかに、自然にしようとすると細かくなりますね。

岡部:でも細かく書かれてる小説がやっぱり面白いですよね。町田さんは文学理論なんかは考えずに書き始められたんですか。

町田:僕は子どもの頃から、人の話をじっと聞いて学ぶとか、教えられるとかが苦手なんです。学校で先生の話を聞いていても5分10分したら飽きて勝手に別のことを考えてしまう。でも本やったら主体的に読めるからよかったんですよね。まぁそんなことで、まっさらな状態から方法を学び技術を蓄積して、ということはできなかったんですが、パンクというのはどうも素人でもいけるらしい、というデマに騙されてパンクロッカーになりました(笑)。

岡部:音楽自体はずっとお好きだったんですか?

町田:音楽が好きでずっとやってる人と話してみるとこれもまた違うようで、結局、言葉とか文字とかのほうが好きだったんだろうなとは思いますが、歌うことは好きですね。

岡部:僕は町田さんの作品は小説が最初だったんですが、一回、新代田のフィーバーにライブを観に行ったことがあります。町田さんが大きい声で歌ってるというのがすごく新鮮でした。

町田:そうですか。小説も音楽も、言葉をやるという意味で、自分のなかではある種の一貫性はあるんですよ。もしかしたら演劇も、その意味では関係あるのかもしれない。僕も朗読なんかはやりますから、そこにストーリーと動きが加われば演劇とも言えますもんね。まあでも、影響を受けたりした部分はありますけど、誰かについて学ぶということはしなかったので、一代の芸といいますか。そんなの天才か死ぬかしかない。天才であるわけはないからカスの人生なんですよ(笑)。

岡部:いやいやいやいや。天才ですよ。最初に書かれるようになったのは歌詞なんですか?

町田:歌詞ですね。それもね、深夜ラジオで流れるアングラな音楽を最初は面白いと思って聴いていたけど、だんだんある種の傾向というかフィルターというか、価値観や思想みたいなものが一色やな、おもろないなと思ってたんです。それで自分で書いてみたのが最初でした。今も〈汝、我が民に非ズ〉で、歌詞を書いて歌っています。
あ、そういえば、この間初めて戯曲を書きましたよ。「熱海未来音楽祭」というイベントのために「海辺の兎に角」という題名で。海辺で舞台も音響もないし、風と波の音でセリフもきれぎれで、だからいわゆる演劇ではないんですが。

岡部:寸劇ですか、おもしろそう! 観たいです。

町田:配信もするとは思うんですけど。

岡部:配信探してみます。インスタグラムの「投げ銭」のショートムービーも面白かった(笑)。僕がこんなこと言うのもあれですけど、町田さんやっぱり演技うまいんですよね! お札をカメラに向かって放って「おかしいな、全然いけてる感じがしない」って(笑)。

町田:昔だったら、ああいうことを思いついても、自分だけ、あるいは仲間内で笑うだけじゃないですか。でも今は撮るのも簡単やし、共有もできますからね。

岡部:ご著書もライブもインスタグラムの動画も、これからも楽しみにしています。今日は本当にありがとうございました!



【プロフィール】

町田康
1962年大阪府生まれ。小説家、詩人、パンク歌手。81年、町田町蔵名義で〈INU〉のボーカリストとして歌手デビュー。山本政志、石井聰亙(石井岳龍)、若松孝二などの監督作に参加、映画のほかテレビドラマやCMにも出演。92年に詩集『供花』を、96年には名義を町田康に変えて初の小説「くっすん大黒」を発表。Bunkamuraドゥマゴ文学賞、芥川龍之介賞、萩原朔太郎賞、三島由紀夫賞、谷崎潤一郎賞、野間文芸賞など受賞多数。近著に『ホサナ』文庫版、「令和の雑駁なマルスの歌」など。『文藝』で「ギケイキ」、『新潮』で「漂流」など連載多数。バンド〈汝、我が民に非ズ〉の3枚目のアルバム『汝我が民に非ズ』も完成、発売中。ライブ情報はSNSなどで発信している。

岡部たかし
1972年和歌山県生まれ。俳優。〈劇団東京乾電池〉出身。劇団退団後、山内ケンジ氏がプロデュースする〈城山羊の会〉など数多くのプロデュース公演に出演。自身が立ち上げた演劇ユニット〈切実〉では演出も担当している。現在、ドラマ『共演NG』、カー用品のジェームス「愛の停止線」、関電不動産開発「ライバル他社デザイナー」篇などのCMに出演中。〈城山羊の会〉公演「石橋けいの『あたしに触らないで!』」(12/17~27 @小劇場B1)に出演予定。