第二十三回特別インタビュー しまおまほ(漫画家)

驚くべき記憶力に鋭い洞察力、シニカルなユーモアを持ちつつも、どこかうだうだしているところがチャーミングなしまおまほさん。エッセイスト、イラストレーター、小説家として活動しながら、ヘビーリスナーとして「ラジオ界のトリックスター」とも呼ばれる彼女は、6歳になる息子さんの母でもあります。子どもとの暮らしで変わったこと、変わらないこと、これからの創作活動について、しまおさんとは17年来の付き合いになるライターが聞きました。

――しまおさんは子どもができたからといって、自分自身はあまり変わらなかったと以前仰っていましたが、生活はかなり変わりましたよね。

以前はラジオ聴き終わって3時くらいに寝るのが普通だったけど朝型になったし、基本は朝6時頃に起きて、夜10時半くらいには寝てますね。生きているタイマーみたいな人が側にいるから、さすがに子どもを夜11時に寝かせるのはマズいだろうとか、そんな意識が働いて。たぶん、中身も変わっているんだとは思うんだけど、変わったと思いたくないという気持ちが最初のうちはけっこうあったんですよね。

――以前より、オープンになったところはありそうですよね。

そうですね、ずっと人の目を気にして生きていたので。今も気にはしているけど、前に比べたら楽になりました。ひとつは子どもの保育園の人たちと関わっていることが大きくて。先生も仲良い友達もグイグイくる人たちが多いんですよ。私が結婚していないことに対しても、「なんで?」と気兼ねなく聞いてくる。「そういう方もいらっしゃいますよね」という感じでそこには触れないということがないんです。「なんで一緒に住んでないの?」、「離婚してるんだっけ」、「彼氏いるの?」とか聞いてもらえる。

――むしろ聞いてくれたほうがありがたいと。

そう。上っ面で付き合ってないから、すごく楽で、どんどんたがが緩んできて。もともと結婚してないことを隠すつもりはなかったし、言えないわけじゃなかったけど、言ったらその理由を細かに説明しなきゃって思ってたし、「それならしょうがないね」と思ってもらえるような理由をいつも探してた。「え、なんで?」と批判されたくないし、子どもが可哀想とも思われたくない。とにかくそういうことをずっとずっと考えていたけど、それがなくなりました。時間が立ったということもあるし、別居したとか、保育園を変える必要があったとか、不思議とそれらのタイミングがなんとなく同時期に揃ってやってきて。自然とだんだん矛盾が解けていって、あんまりこう見られたいとか、こうでなくてはいけないということがなくなってきた。取り繕わないでいられるようになったかもしれないです。

――去年は、初の長編恋愛小説『スーベニア』も発売されましたが、「文學界」でこの連載が始まった頃はどんなフェーズにいたのでしょうか。

子どもが生まれてすぐ打ち合わせをして…書き始めたのは2016年。当時はまだみんなに自分の状況やそうなった理由を説明しなきゃいけないと考えていたときだから、逆にエッセイが書きづらかったんですよね。ママっぽく見られたくないという思いもあったし、子どもがいるのにあんまりそういう匂いをさせたくなくて。今までは散々自分の生活について書き散らかしていたのに、一緒に住んでいる人のことは避けたりしていて。自分の中での矛盾があったんです。

――自分の中で書きづらいことが増えていくのは窮屈ですよね。

昔のことを書く分には、今の生活を反映しなくていいからいいんだけど、今の生活を書こうとすると、やんわりと「夫」というワードにも抵抗があるよなとか、不満を言わないようにしないといけないとか、そういうものが狭まってきて自由じゃなくなってきている感覚はありました。かえって小説を書いてるのが楽だったんです。父親にも、「嘘をついている文章はわかる」と言われて。何かを隠してると、面白くなくなりますよね。それはわかる人にはわかるよなーと思って。

――しまおさんは、TBSラジオ「アフター6ジャンクション」の月1お楽しみ企画、月刊「しまおアワー」に元カレを登場させたり(笑)、特にラジオではすごく自由に振る舞われているように聞こえるのですが、そういうときも「これは隠さないと」とかを考えていらっしゃるのでしょうか?

一応考えてるけどね(笑)。でもラジオは相手もいるし、いろんな人が助けてくれるから、それがありがたい。不思議ですけど、ラジオのほうが生身なのに、文章を書いているときのほうがより生々しく感じるんですよね。だから、聞いてる人は濃いと言ってくれるかもしれないけれど、ラジオは文章に比べると自分の濃度が薄いと思っています。「しまおアワー」は20年前に「Olive」で連載していた「ひとりオリーブ調査隊」みたいな気分でやらせてもらっていて。自分の興味のあることを面白おかしく調査するという、やっていることは変わらないんですよね。

――最近は、『家族って』(河出書房新社)でも息子さんのことを書いてらっしゃいますし、エッセイを書く上でも再びオープンになってきたのでは?

割とどうでもよくなった感じはあります。子どもが産まれる前、「妊娠しました」とラジオで報告したとき、批判も含めた色んな意見が急に飛んできたことがあって、萎縮しちゃったところはあるのかもしれません。ラジオでの報告自体、私もそこまで前向きじゃなかったというか、乗り気じゃないけど流されてやってしまったところがあったから、チクリがよけいに刺さったんですよね。

――でも、しまおさんは一貫して、「子どもは存在として面白いけど、親がする子どもの話は面白くなりづらい」、というスタンスでしたよね。

子どもに対して客観性が全くないから面白くアウトプットできる気がしないんですよね。どこかで守りに入っちゃうのかな。子育てエッセイで面白いものを書く人はいっぱいいるんだけど、自分が書くと急につまらなく感じる。だから、面白く書けている人って本当にすごいなと思います。

――子どもについて書いたときに、お母さんにチクリと言われたことを前に話していました。

「違うものを書いたほうが面白いね」とは言われます。子どもの反応や行動を文章のスパイスとして入れ込んだりはするけど、メインはなぁ。大きくなってからだとまた違うかもしれないですね。

――書かれることに対して、子ども側がどう感じるかもわからないですしね。

ドラマ「セックス・エデュケーション」(Netflix)で、セックス・セラピストのお母さんが息子のことを書いて、息子が激怒するじゃないですか。あれは見ていてちょっと刺さったというか、こうなるかもなというところはちょっとはあって。小説を読んで、これはどこまで本当なのかなとか思ったりするかなと。

――確かに。子どもとは関係ないところの、SNSの投稿とかも含め、やはり面白くないということはしたくないという意思があるんですね。

本当に面白いか面白くないかをすごく考えちゃうんですよね。自分が面白さを正義にしすぎてるところもあって。そこで判断しちゃうんです。お笑いの見過ぎかもしれない(笑)。そこがあまりにも表に出過ぎてるから、人として熟成できないんじゃないかとも思う。ユーモアって大事だけど、それを二番とか三番手にしてもうちょっと真面目に勉強したほうがいいんじゃないかって最近はちょっと思ってる。

――具体的に何を勉強したいとかはあるんですか?

わかんない。何を勉強したいのかもわからないってヤバいかな、43歳にもなって。私の場合、「大きくなったら何になろうかな」っていうのがいまだに続いてる気がします。

――いつまでも人として熟成できない話はお互いよくしてますね。

育ちもあるでしょうね。お父さんとお母さんのことが大好きで、親をいつも心の拠り所にしている。子どもがいても成熟できるわけじゃ絶対にないと思うし、むしろ自らの未熟さが露呈する機会が多い。全然駄目って感じです。

――でも、日々ご飯を作って、保育園の送り迎えをして、仕事して、生協で食材を注文して、ちゃんと生活してるじゃないですか。

そりゃそうだけど、超適当ですよ。パンひとつで朝と昼一緒のご飯にしちゃったりしますし、ゲームをやらせっぱなしとかもあるし。俗っぽいものに全く触れさせずに育てている人もいるし、それはそれでいいと思うけど、うちの子はYouTubeを観ながらゲームをするし、そういう自分が経験していないことをやっているという部分も含め、子育てってちょっと怖いけど実験っぽくて面白いなと思います。

――どう出るかは誰にもわからないですもんね。そもそも、しまおさんは結婚して、子どもを産んで、という未来を具体的に夢見ていたタイプですか?

全然わからなかったですね。でもそうするもんだという刷り込みはあったし、そうしたいとかじゃなくて、そうならない未来が怖いと思ってたかもしれないです。結婚しない、子どもを産まない人生が怖いというか。それも、そうなったときに他人にどう説明していいのかわからなかったからかもしれませんね。「出会いが多そう」とかみんな無責任なことを言うけど、現実、そんなに頻繁には出会いなんてないものじゃないですか。

――今はそういう怖さはなくなりました?

もう子どももいるし、結婚がどうのというのはどうでもよくなったところはあります。昔は恋愛相手に対して性的な魅力を第一に求めていたところがあったけど、今はそれよりも、一緒にサバイブできるかどうかが重要だと思うようになったかな。そういう人がいたら素敵ですよね。

――「POPEYE」の連載で、気になるお肉屋さんのことを書いてらっしゃいましたよね。

お祭りで「ちょっとこれ」って、タダで焼きそばくれたんですよ。いきなり焼きそば渡されたら、気があるのかなってちょっと思うじゃないですか。焼きそばが1個余って、誰にあげるかってなって私のところに来たら、選ばれた感じがするじゃないですか。でも、もはや意識しすぎてその肉屋さんには行かなくなりましたけど。

――確かに。モテていたいとか、嫌われたくないということを公に隠さなくなったという変化もありそうですね。

あ~、でもそれはあれかも、悲しいかな、中年になってるということなのかもしれない。でも、私はやっぱり、自分のことをおばさんと思いたくないなぁ。自分で自分のことを「おばさん」って言いたくない。

――若さにとらわれているわけではないし、年を取ることがすごく嫌なわけでもなくても、おばさん化に対してどこか抗っていきたいという気持ちはありますね。

私も20代後半からそう思っていて。周りの友達が、27、28歳くらいの頃から自分たちのことを「オバンだ」と言い始めたんですよ。それにすごく抵抗感があって。あと子どもに対して、「おばさんはね」というのも嫌で。母親も「おばさん」と呼ばれるのを嫌がってたから、その影響もあるかもしれないけど。「おじさん」の方が「おばさん」よりはポジティブな感じがしませんか? ちょっと明るい感じがする。 

――女性の方が男性よりルッキズムのプレッシャーを受けているから、ネガティブな印象にはなるのかも。

あるお笑い芸人さんが、おばさんに対してはブスとかブスじゃないというジャッジがない、おばさんはおばさんだという話をしていて、なるほどとも思いました。ルッキズムからは抜け出せるのかもしれないけど、なんか降りた感じもしてしまう。ただ、ずっと性的な魅力を匂わせたいわけでもないし…、不思議なんですけど。でも、時々すっごく自分がおばさんだなと思うときはある。ガハハ笑いをしたり、話ている内容とか。保育園のお母さんたちと一緒にピラティスをしているんですけど、最近新たに入ってきた30代前半のお母さんと私は初期メンバーだという話をしていたら、「ああ、AKB48みたいな」と言われて。私は完全にモー娘。でイメージしてたので、「完全に世代が違うね」となったんですよ。

――1990年以降生まれだったりすると、渋谷系の存在を知らなくても不思議じゃないですよね。

一昨年、保育園のクリスマス会でピチカート・ファイブさんのモノマネをしたんですけど、キョトンとしている人いましたもん。その前年はCharaさんのモノマネだったんですが、ただアニメ声で歌ってると思われてました。でも、去年なんてさ、中森明菜さんの「飾りじゃないのよ涙は」をやったから、きっともっとわからないよね。今年は「林檎殺人事件」をやろうと思うけど、さらに遡っちゃってるからね(笑)。

――今はストリーミング配信とかで古い曲逆に知っている人も多そうですけどね。おばさん化問題、しまおさんはこれからどう取り組んでいこうと?

でも、やっぱりおばさんとかおばあちゃんという概念は私の人生には要らないかな。おじさんもおじいちゃんも必要ない。私、テレビのナレーションで「素敵なおばあちゃんがいました」とか、おばあちゃん呼ばわりしているのを聴くと、すごく失礼だと思っちゃうんですよね。自分の母親がそういうふうに言われても嫌だし。道行く人にインタビューするときにどう呼ぶかって難しいじゃないですか。

――名前を知らない、もしくは特定できない人の呼称は難しいですよね。

ご婦人? 女性とか? その概念もいらないかもしれない。

――しまおさんこれからの人生において、そういう呼称は必要ないと。

ない(キッパリ)! 私は私。子どもは私のことを「カーカ」と呼ぶけれど、私は自分のことをそう言わないし、母親もそうで、自分のことを「お母さん」とは言わなかった。私が母を「お母さん」と呼んでるから、子どもはおばあちゃんのことを「お母さん」と呼んでいるけど。

――最後に、今後しまおさんが創作の分野で新しくやってみたいことってありますか?

自分のことや思い出話じゃなくて、もうちょっと他に書けることがないかなとは思っています。小説もありかもしれないし、でも小説でも自分のことしか書けなかったから、もうちょっとなんかないかなって。以前、ある企画に出すための脚本を書いて、そのために脚本づくりのレクチャーも受けたんですけど、それがすごく楽しかったので、物語を考えることは楽しいのかもしれない。たださっきも言ったけど、ユーモア第一主義から抜け出して、プラスアルファで勉強しないと、このまま50歳になったらまずいぞとは思ってます。

――50歳くらいが大人の到達点になるんですかね。

あと7年でしょう、50歳って。まだ成熟できてる気がしないな。子どもが今6歳だから中1か。そろそろ反抗期って頃かな。そうしたらもういいよ、ほっとこう。

――お母さんが恥ずかしいとはならない男の子もいますけどね。

「ママかわいいね」とか「綺麗だね」とか言う子もいるけど、うちは「好き」も言わないし、チューもしてこない。

――インスタライブでしまおさんが年齢ごとのバストの垂れ度のイラストを見せてて、「カーカはこれよりはマシ」って言っていて(笑)、優しさ感じましたけど。

言ってた(笑)。美容整形の広告でね。40歳の図よりは垂れてないって。そもそもあの表の描写がひどいんですけどね。

■プロフィール

しまおまほ
1978 年生まれ。多摩美術大学美術学部二部芸術学科卒業。1997年に高校生のときに描いた漫画『女子高生ゴリコ』でデビュー。雑誌や文芸誌でエッセイや小説を発表するほか、ラジオのパーソナリティとしても活躍。祖父母は作家の島尾敏雄、島尾ミホ。両親は写真家の島尾伸三、潮田登久子。2015年に第一子を出産。著書にエッセイ『まほちゃんの家』(Wave出版)『ガールフレンド』『マイ・リトル・世田谷』(共にSPACE SHOWER BOOKs)、小説『スーベニア』(文藝春秋)など。10月29日、ルポタージュエッセイ『しまおまほのおしえてコドモNOW』(小学館)が発売予定。