第十九回特別インタビュー シソンヌ・じろう(お笑い芸人)

単独ライブを活動の中心に据えて生きていく――
おそらくほぼ全てのコント師が目指すそのスタイルを、実現できる人はごくわずか。そんな中でシソンヌは毎年の単独ライブ『シソンヌライブ』の規模を少しずつ拡大。今年はなんと約1か月にわたり、本多劇場で『シソンヌライブ[dix]』を上演します。なぜそんなことができるのでしょう? そして、シソンヌはこれからどこへ向かおうとしているのでしょう? じろうさんにじっくりお話をお伺いしました。

単独ライブはいちばん幸せな1か月

――ことしも7月に『シソンヌライブ[dix]』が控えていますね(取材時は5月)。1か月もの期間、単独ライブを上演するというのはちょっと他では聞かないですが。

じろう:そうですね。芸人では他にいないかもしれませんね。

――2018年にも、赤坂RED/THEATERで約1か月『シソンヌライブ』を上演されていましたよね。コントの内容を考えるとき、1か月公演をやるという期間は影響するものですか?

じろう:ネタを作るときとか稽古の段階で、やっぱりひとつはフリーなネタというか、遊びのあるネタがあったほうがいいなというのは考えます。飽きないような、モチベーションにつながるような。公演をやっていくうちに増えるくだりも削るくだりもあるので、だんだん変わってはいきます。

――だんだん変わるというのは、毎回ダメ出しをされるんですか?

じろう:ダメ出しは本番中基本毎日ありますね。作家の(今井)太郎も、来られるときはぜんぶ来て毎回公演を観ますし、制作の牛山(晃一)さんにも観てもらっています。「あそこ2秒縮められない?」とか、本当に秒単位の修正をするんですよ。僕らは暗転の時間とか、着替えの尺も含めて全部単独ライブを構成する要素として考えているので、詰めるところはぜんぶ詰めます。暗転が長いとお客さんが冷めちゃうので。衣装さんとかまで含めて毎日「あそこの着替えちょっとああしましょう」と話し合ってますね。

――じろうさんは出る側でもありますが、舞台に立ちながら「ここもう少し詰められるな」と考えたりもしますか?それとも本番になったらその部分は信頼を寄せるスタッフに任せてしまいますか?

じろう:僕が観られないところは作家に観てもらいます。でもぼくも毎日、本番の映像を持って帰って、その日に観て、「ここ長いな」「あんまりウケてないな」というのを確認して次の日修正するという繰り返しですね。ウケると思ってやってもウケないところとか、思ってもみないところでウケたりとか、いまだに毎回あるので。やっぱり始まってからもどんどん直します。

――1か月間、毎日それを?

じろう:後半になって、ある程度固まってきたらわからないですけど、前半の1、2週間は確実に毎日やりますね。

――それにしても、1か月公演ってほんとうにすごいことですね。幕が開いてからもそんな毎日だとは。

じろう:でも、やっぱり作るほうがしんどいですよ。幕が開いてからは1年でいちばん楽な一か月です。だって単独ライブのことだけ考えていればいいので。しかも劇場には、お金を払ってでも自分たちのことを観たいお客さんだけが来てくれるわけですし。家から本多劇場も近いし、パチンコ屋も劇場の近くにあるし。赤坂のときも、パチンコ屋もあるし、うまい飯屋もたくさんあるし。ほんとに一か月間楽しかった。

――単独のことだけを考えて、あとはパチンコとご飯ですか(笑)。

じろう:朝10時にパチンコ屋に行って、17時に会場入りして単独ライブをやって、っていういちばん幸せな1か月です。まあ、タバコを吸えなくなっちゃったので、今回の単独ライブの時期は前ほどはパチンコ屋に行かなくなると思いますけど。

――タバコを吸える場所であることが重要なんですね。
じろう:はい。

――先日、空気階段のお二人にインタビューしたときも、「タバコが吸えるかどうかが単独ライブのモチベーションを左右する」と話されていました。

じろう:たしかにあいつら、『有吉の壁』のときでもよく喫煙所にいますね(笑)。

プロデュース力の重要性

――シソンヌのように大きな規模で継続的に単独ライブをやりたいというのは、すべてのコント師の夢だと思います。なぜシソンヌは本多劇場で1か月公演をしたり、『シソンヌライブ[モノクロ]』で全国をまわったりすることができるんでしょう。ご自分ではどうしてだと思いますか?

じろう:これはもう、ぜんぶ制作を担当してもらっている牛山さんが決めてるんですよ。「次はこういうのやろう、ここでやろう」って。僕は「わかりました」とネタを書くだけ。『モノクロ』というパッケージで全国に行こうというのも、牛山さんが考えたことなので。

――端的に言うと、制作さんが敏腕ということでしょうか。

じろう:はい。ほんと、何かの商品が売れるのって、もちろんモノの良さもありますけど、どうやって世間に出すかを考える、そっちの人の力のほうが大きいんだな、プロデュース力というのはすごく重要なんだなというのは、牛山さんと仕事をするようになって初めて感じました。

――『シソンヌライブ』は、制作さんを中心としたシソンヌを支えるスタッフワークが初期の頃からできあがっているからここまでこられたのでしょうか?

じろう:そうですね。第1回から今まで、音響、照明、舞台監督、衣装、みなさん全員変わってないです。僕は怖い人が苦手なので、皆さんほんとうに優しいですし、とても支えられています。

――最初の段階では、じろうさん自身はどこまで見えていましたか?全国ツアーをやるとか、本多劇場で一か月やるとかまで考えていましたか?

じろう:ああ、どうだろう?僕は憧れているシティボーイズさんみたいな感じでずっとライブを打っていきたいな、という思想があっただけで、具体的にどうなるかというのは全然考えてなかったですね。

『モノクロ』でコントスキルを手に入れた

――2013年からスタートした新作コントの単独ライブ『シソンヌライブ』と、2016年からはじまった、必要最低限なものだけが詰まったスーツケース1つだけで全国をまわる『シソンヌライブ[モノクロ]』とで、ここ最近シソンヌのライブ二本柱が確立しつつあるのかな、と思うのですが。

じろう:『シソンヌライブ』は今後もやっていきますが、『モノクロ』はもうやらないと思います。コロナで「やっと止まった」と、ほんの少しだけほっとした気持ちもあったくらい。でも『モノクロ』をやったことで、得るものはものすごくありました。あの2年間で、とんでもないコントスキルを手に入れたという感覚はありますね。

――『モノクロ』は、『シソンヌライブ』とは違うスキルが必要ですか?

じろう:基本は一緒なんですけど、何しろ環境が全然違うので。ほんとインディーズですよね、地下格闘技みたいな感覚。今でこそ認知度も多少ありますけど、始めた頃はもう本当にお笑い好きの、僕らをなんとか知ってる人たちが来るだけで。だから40人くらいの会場でもやりましたし、300人キャパで80人しか入らないこともありました。椅子を200個並べられるスペースにめいっぱい間隔を空けて80個ゆったり並べて満席の感じ出したりもして。舞台袖がなくて、扉から出ていかなきゃいけないところもあったし。

――47都道府県をくまなく回ろうとすると、そういう場所もあるんですね。

じろう:東京みたいな劇場がないところのほうが多いので。だいたいでっかいホールか、ちっちゃいライブハウスがなんとかあるかという環境。そういう、ふだんコントを観る機会がなかなかないところの人たちにコントを観る習慣を持ってもらえたらいいなというのも『モノクロ』をやる動機の中にはありました。

――でもそれだけ環境が違うと、コントの世界観も保てそうにないですね。

じろう:まあ、『モノクロ』はそういう状況もふまえて作っていたので、ステージがなくても舞台袖がなくてもできるつくりにはしていたんですが。それも、やっていくうちにだんだんノウハウがわかっていったんですよね。

――シソンヌにとっては大きなライブだった。

じろう:ほんとうに『モノクロ』でだいぶ力がつきました。『モノクロ』もやっぱりやっていくうちに変わっていって、シソンヌライブよりも変化が大きかったくらいで、最初と最後ではもう別ものでした(笑)。

いつか単独ライブで1本だけのコントを

――ライブの準備はいつ頃からはじめるものですか?

じろう:設定探しは年間を通してやってます。新聞とかテレビとか見ているうちにふと思いついた設定をそのたびにメモして。その中からどれをネタにするか考え始めるのは、いつもだったらもう始めている頃ですけど、今年はちょっと遅れてますね。

――遅れているのにはなにか理由が?

じろう:別の書く仕事が多くて。去年の単独の9月くらいからもうずっと空くことなく書きっぱなしなんです。もともと書くのが遅いので、その遅れがいま響いてますね……。

――ここ数年、ドラマなどの脚本のお仕事が増えていますが、やはりシソンヌで演じるものを書くのとはまったく違いますか。

じろう:そうですねえ。やっぱり僕は、「このトーンで言えばウケる」「この間でやればウケる」というやり方込みでセリフを書いちゃうんですよ。自分や長谷川さんがやる分にはぜんぶわかっているからいいですけど、ドラマとなると役者さんがどういう演技をするかはわからないじゃないですか。だから僕の脚本は「誰がやってもおもしろい」というものではないと思います。

――いまやシソンヌのコントは誰もが面白いと認めるコント師だと思いますが、じろうさん自身が、自分の書くものは面白いと確信を持てたタイミングはいつ頃ですか?

じろう:確信……、そうだな、単独のネタをみた芸人から、「この前のあのネタすごかった、面白かったね」と言われてはじめて「あ、あのネタ面白いんだ」と気付くくらいで。いまだに自分で「いいネタ書けたな」というのは、人前に出す前の段階では思うことはないですね。ただ、キングオブコントで優勝してから単独のネタがすごく作りやすくなったのはあります。もう優勝してるんだから、これが面白くないっていうんだったらそれはあなたたちの価値観が違うんですよ、と思えるというか。全部を当てに行こうとしなくても、自由に、「これはどうでしょう?」くらいのものでも出せるきっかけにはなりました。

――単独ライブでは長尺のコントも多くありますが、それぞれのコントが必要とする長さを追求したら自然と長くなっていくんでしょうか?

じろう:はい。それと、最近は着替えを減らしたいという思いもちょっとあります(笑)。あと、自分が人の単独ライブを観に行ったとき、コントを8、9本見せられても覚えてないんですよ。暗転して終わったと思って明転するたびに「あ、まだあるんだ」と思ってしまう。僕と同じように「まだ終らないんだ」と思うお客さんっていると思うので、それをなくしたいんです。尺を長くして本数を少なくすれば、そのストレスは減るじゃないですか。もちろんその長い尺をもたせるだけのものは作らないといけないんですけど。
――設定の種をコントにしていくなかで、「これは長めの尺になりそうだな」というのはわかるものですか?

じろう:コントはゴールが見えた状態で書くことってなくて、いつもなんとなくで書き始めるんです。書き進めていくうちに展開を思いついて、オチも書きながら探して。だからいつも、気づいたら長くなっているものがある、という。

――ひとつの単独ライブの構成としてはどう考えていますか?

じろう:とりあえずネタを揃えてみて、書き始める段階で全体としていいものになるような構成は考えるんですよ。バカバカしいものもあればちょっと感動できて笑えるようなものも入れて、それぞれを似ないようにして。そこからそれぞれのネタを作って、衣装とかを考えて、その間をどう詰めるかを考えていく。「このネタで長谷川さんハケさせて、着替えさせて次のネタ明転で長谷川さん置いとく」とか。ネタが出揃ったらどの並びがスムーズにストレスなく、暗転の尺をなるべく短くできるかと。

――コントの尺がだんだん長くなっていく流れで、1本のお芝居をやってみたいという志向はないですか?

じろう:お芝居として公演を打つことはないと思います。やっぱりあくまでもお笑いであり、芸人でありたいので。お芝居にしちゃったらいよいよ演劇じゃないか、と言われてしまう。ただ、「シソンヌライブ」として公演を打って、お客さんが来てみたら実は1本のコントだった、というやり方はあるかもしれないですね。

――あくまでもコントで、「シソンヌライブ」が1本で構成されている可能性もこれからなくはない。

じろう:そう。それはこの先どこかでやれたらとは思いますね。

テレビと寄席の位置付け

――『LIFE〜人生に捧げるコント〜』や『有吉の壁』などは、シソンヌの活動のなかでどういう位置づけですか?

じろう:その二番組は本当に好きな、やっていて楽しい仕事の上位二つですね。『LIFE』は他の方が書いた脚本なので、いまだに自分の要素をどれだけ足していいのか、どれだけふざけていいのか迷うことはありますけど、あんなにしっかりスタジオコントができる場ってなかなかない。『有吉の壁』は基本全部自分で考えて、好きなようにやれるのが嬉しいです。

――『有吉の壁』では長年一緒にやってこられたチョコレートプラネットさんと組んでいる姿も観られるのがいいですね。

じろう:そうですね、チョコプラとはNSCの頃から一緒にやっているので。

――ああやって一緒にやるときは、二組であらかじめ相談するんですか?

じろう:いや、当日ですね。僕はディレクターさんに案を送る段階で「こういうセリフのやりとりをしたいです」というところまで送って、ある程度完成形が見えている状態でやるんですけど、長田(庄平。チョコレートプラネット)はなんとなくで案を出して通って、それを当日丸投げしてくるんですよ。仕方ないから長田案のものは、僕がその場で作ってます(笑)。

――寄席に出るのはどうですか?

じろう:ルミネtheよしもとでの寄席に出るのは楽しいです。僕、芸人が大好きだから、楽屋がめちゃくちゃ居心地いいんです。たとえば1日拘束されていても、実働時間10分とか15分で、それ以外の時間は周りの芸人たちとおしゃべりしたり、自分の作業をしたりして過ごせるのがとても好きです。

――『有吉の壁』などで、知名度がぐんと上がったことはどう感じていますか?

じろう:とても嬉しいことですけど、単独ライブで明転して「キャー!」と言われたり、それこそ寄席で僕らの出番が終わったら出て行ってしまうようなことがあったりすると、ちょっと困るなと思います。本物志向の人だけが観てくれればいいとずっと思いながら活動をしてきたはずなので。

シティボーイズへの思い

――シソンヌのコントには、おじさんやおばさんがよく出てきますよね。お二人は若いときからその演技にリアリティがあって面白かったですが、ご自分たちがだんだんその年齢に近づいていることについてはどう感じていらっしゃいますか?

じろう:僕、シティボーイズさんを観て、「この人たちの面白さってなんなんだろう?」とずっと考えていたんですよ。もちろん脚本や演出の面白さもあるんですけど、これはやっぱり年齢の面白さだな、と気づいて。この味はもう若いうちには出せないんだろうと。だから、日々そこに近づいているのはうれしいです。おじさんにしかだせない味ってあるんですよ。なんでもないセリフを言っても、きたろうさんや斉木(しげる)さんが言ったら面白いことっていっぱいある。その域にまでようやく少しずつ近づいてきているのかなって。

――最初にシティボーイズに出会ったのはいつですか?

じろう:僕、英語の仕事がしたくて大阪の大学に通っていたんですけど、青森から関西に進学するヤツなんてほとんどいないんです。でも一人だけ、京都の外大に通っている地元の同級生がいて。そいつがとても物知りなやつで、高校のときから忌野清志郎を聞かせてくれたり、塚本晋也監督の『鉄男』を一緒に授業サボって家で観たりとかする仲だったんですよ。だから大学時代も休みのたびに大阪と京都を行き来して、そいつと遊んでたんです。それで、「こんど近鉄劇場でシティボーイズのライブがあるから一緒に観に行こう」と誘われて、初めてシティボーイズさんの舞台を観に行きました。そこで「こんなお笑いがあるんだ!」と。

――それ以来、憧れの存在になったわけですね。たしかに、シティボーイズは年齢を重ねてなお面白くなっていますよね。じろうさんにはぜひシティボーイズにコントを書いてほしいです。

じろう:やりたいですけどねー! こないだの単独ライブで、じいさん二人のコントをやったんですよ。そしたらきたろうさん、荒川良々さん、演出家の赤堀雅秋さんが観に来てくれて、「あのコント、シティボーイズでやればいいじゃん」と言ってくれて。二人のじいさんをきたろうさん、斉木さんが演じて、いる体でやったマスターを大竹まことさんにして。きたろうさんは「あんなの、もうできないよ」とおっしゃっていましたけど、でもお三方が元気なうちに一度はシティボーイズライブに出たいなという思いはあります。

――憧れのきたろうさんに単独ライブを観られるのはどんな気持ちですか?

じろう:いつも荒川良々さんがいろんな人を連れてくるんですよ。赤堀さんも、一度も仕事でご一緒したことはないのに良々さんと仲がいいから毎回観に来てくれる。僕は「恥ずかしいから嫌だ、きたろうさんに見せられるようなものじゃない」と言ってるんですけど、きたろうさんも良々さんが連れてきて。観たらすごく面白いって言ってくださって、とても嬉しかったですけど。

シソンヌが目指す、ザ・ドリフターズとシティボーイズの間

――いま、シソンヌがめざすところはどこですか?

じろう:わかりやすく言ったら、ザ・ドリフターズさんとシティボーイズさんの中間ですね。シティボーイズさんになれるものならなりたいですけど、それほどの知性が僕にはない。難しいことも書けない、おしゃれなこともできない。僕の笑いのとりかたはやっぱり、どちらかといったら志村けんさんなんですよ。だからうまくパッケージはおしゃれに見せて、実際に観たらドリフじゃないか、というのを目指したいですね。僕ら、中身はもう本当に低俗なことをやってますから。

――そこはどんなに観客が増えようとも、全国を回ろうとも、変わらない。

じろう:どうしても、うんこちんこおっぱいが僕の中の面白三大巨頭なんですよ。それより面白いものって思いつかない。僕、志村さんが亡くなる前、最後の『志村魂』を観に行ってるんです。もう本当にしょうもなかったですよ。花火のついたうんこがラジコンでウィーンって走って爆発してた。「いや、これだよ!」と思って一人で爆笑しましたもん。その最後の舞台を観られていたことに勝手に縁を感じてるんですよね。本当、シティボーイズさんと志村けんさんという両極端の笑いを観て、好きでいるので、やっぱりそのマインドは受け継いでいかないと、と思っています。

――コントとしては、ではシティボーイズと志村けんさんのハイブリッド。シソンヌとして、あるいはじろうさんの活動としてはどうですか? 以前、じろうさんは「年をとったら青森に戻って喫茶店をやりたい」とおっしゃっていましたが。

じろう:最後は弘前で死にたいなというのはありますね。

――歳を重ねたなりの面白さのあるコントをやるという野望との両立は?

じろう:弘前にも今、ちっちゃいスペースがあるらしいんですよ。僕も年老いたら弘前で、普段は喫茶店をやって、月に1回そこに40人くらいのお客さんを入れて、ひとりで1時間コントをやる、みたいな生活もあるかもしれないですね。ないか(笑)。

――もし実現したら素敵だと思います。

じろう:あとは、少し真面目な話をすると、すごく面白いものを書きたいという思いはあります。ドラマでも、映画でも、舞台でもいいんですけど。ひとつ何か、後世にも語り継がれるような、何度でも観られるようなものを。

――コンビとしては?

じろう:単独ライブを続けていけたら。あと、小学校をまわりたいですね。小学校のとき、全校生徒で市民会館とかに演劇を観に行くの、あったじゃないですか。ああいうときの演劇って面白くなかったから。小学校の講堂とか、体育館でシソンヌで1時間コントをやるっていうのをやってみたいですね。

――それはすごくいいですね。

じろう:いじめとかをテーマにした、道徳的な、意味のあるコントを書いたりして。

――道徳の授業のようなコントを? 最後は心温まる終わり方になるんでしょうか。

じろう:どうですかね。結局うんこが出てきて終わりだと思います(笑)。

CHIRATTOで連載中の『スペシャル対談』に込めた憧れ

――最後にちょっとだけ、連載の話を。CHIRATTOで毎月連載してくださっている「スペシャル対談」ですが…。

じろう:最初の1年間は、対談相手が架空の人物だってことさえ言わずに掲載し続けていたんですよね。

――読者の中には、じろうさんの対談相手が実在の人物だと信じている人もいたようですね。

じろう:初期の頃は写真も載っている体でキャプションだけあるから、「エラーで写真がアップされてないじゃん」って言われたりもして(笑)。

――架空対談をやろうというのは、どういうところから発想を?

じろう:根底にあるのは文化人ぶりたいってことなんですよ。ずっとサブカルチャーみたいなものに憧れをもっていたので。何か聞かれたら「この映画のあのシーンでさ」とか。「このアーティストのあの曲、あいつのオマージュじゃない?」とか言うのをスラスラ言えるような人になりたかった。でも、なれなかった。パチンコと麻雀に自分の熱意を注いじゃったので。だからこの連載の中でだけはサブカルに詳しい人ぶりたい、要は文化人ぶりたいんです。だから最近は減ってきましたけど、文章の中でも、架空の映画や本を引用しまくってるんですよね。実際は全部妄想です。

――スラスラ書けるんですか?(笑)。

じろう:本当にきついです(笑)。でもこの連載は自分の特訓の意味もあるので、毎月頑張って書いているので、みなさんに読んでもらいたいですね。

じろう(シソンヌ)
1978年青森県弘前市出身。2006年に長谷川忍とお笑いコンビ「シソンヌ」を結成。2014年のキングオブコント王者。2013年よりコントライブ『シソンヌライブ』を毎年開催し、2021年は東京・下北沢本多劇場にて7/7(水)〜8/1(日)まで全30公演を行う。NHK「LIFE!」やNTV「有吉の壁」に出演中。また、バラエティ番組だけでなく日本テレビ「今日から俺は!!」「俺のスカート、どこ行った?」、NHK「いだてん」等、ドラマにも多数出演している。短編小説「サムガールズ あの子が故郷に帰るとき」、映画「美人が婚活してみたら」、映画「甘いお酒でうがい」の脚本を手掛けるなど作家としての一面も持つ。