第十八回特別インタビュー 津野 允(ディレクター)

関西時代の千鳥がロケ芸人としての地位を確立した「特選千鳥弁当・ちょっとちょ~だい!」や酔っぱらいロケ。アキナがひたすらユルくロケをするYouTube『アキナのアキナいチャンネル』。東京にもファンの多い『相席食堂』。独自の空気を漂わせるロケ番組を多く世に放ち、数多くの芸人にこぞって「この人とロケがしたい」と言わしめるTVディレクター、津野允さん。「バラエティのことはよくわからないですけど」と笑顔の津野さんに、たっぷりとお話をお伺いしました。

一度も観たことのない『探偵!ナイトスクープ』のADに

── 一番最初にテレビ業界を目指したところから伺ってもいいですか?

津野允(以下、津野):高校、大学の頃は、演劇をやっていたんですよ。3回生のときに何人かで劇団を作って、そのまま卒業せずに演劇をやっていくつもりだったんです。でも一応親の手前、就職活動はしなきゃなと、テレビ局と制作会社をいくつか受けました。そしたら一個だけ制作会社に受かっちゃって、ちゃんと卒業することになりました。

── テレビ局や制作会社を志望した理由は?

津野:漠然とドラマなんかを撮れたらいいなと思っていたんです。でもいざ会社に入ってみたら、大阪にはドラマを撮る仕事なんてないんですよ。しかも入った会社はバラエティしかやらないところで。『探偵!ナイトスクープ』を作っている会社だったんです。僕、それまで『ナイトスクープ』も観たことなかったんですよ。

── よく受かりましたね……。

津野:本当に。なんで受かったのかいまだにわからないです。面接でも「ドラマを撮りたいです」って言ったと思うんですけどね。僕は岐阜県出身なんですが、実家にいた頃、8歳上のお姉ちゃんが好きだったとんねるずの番組を一緒に観ていたくらいで、ほとんどお笑いとかバラエティは観てなかったですし。大学では演劇しかやってなかったからテレビも観てないし。

── では、あまり観たことのなかったバラエティ番組の仕事をすることになったんですね。

津野:そうです。会社に入ってすぐに『ナイトスクープ』のADになりました。当時、会社には『ナイトスクープ』を担当しているディレクターが5人いて、全員のADをするんです。その5人がまた、関西独特の、「オレが一番オモロイねん」みたいなことを言ってるような人達で(笑)。「関西のオモロイはわからんなあ」と思いながら1年間過ごしました。「お前あのネタ知らんのか!」とか言われても、一度も観たことがないので知るわけがないという、とてもしんどい1年でした(笑)。

── そこで番組作りの面白さに目覚めることはなかったわけですね。よく続けられましたね?

津野:これまであまり思い返したことがなかったですけど、言われてみればそうですね。……どこで面白さに気づいたんだろう? ただ、月に7回くらい「オレが一番オモロイねん」って人たちについてADをして、要領はだいぶよくなりましたね。全員タイプが違うので、「この人にはここまでやっとかなあかん」「この人はある程度放っといても自分でやる」とか。会社に入ったときに『ナイトスクープ』をつくった社長の石田(ひろき)さんに「千本ノックと一緒で、最短距離で手が出るように、やりすぎず十分に仕事をこなす方法を見つけるためにこんだけ無理な仕事を振ってるんや」と言われたんです。その時はもちろんまったく共感はできなかったんですけど、今思えば役に立ったと思います。

600人にウケたときの気持ちよさ

── その1年が終わったあとは、どんなお仕事を?

津野:2年目になるときに、社長から「ディレクターやるか?」と言われて。「『ナイトスクープ』か、新番組かどっちがいい?」と聞かれて、AD生活も『ナイトスクープ』もうんざりだったので、「新番組がいいです」と答えて。朝日放送の土曜お昼の番組(『ベリグ!』)で、シャンプーハットが会社を紹介するみたいなコーナーのロケを自分で初めてやりました。その番組は1年で終わったんですけど、1年間シャンプーハットの2人とロケをして、だんだん楽しくなっていったんでしょうね。でも、いかんせんその番組の知名度がなくて。「誰も観てへん番組作って、何やってんのやろ」と思っていました。だから番組が終わって、3年目に「お前『ナイトスクープ』やるか?」って聞かれたときには、もうやりたくてしょうがなかったんですよ。

── 1年前は逃げたくて仕方なかった番組が。

津野:やっぱり手応えがほしかったのかもしれないですね。「ここから2年間、他の仕事はつけへんから、その代わり全ての回のロケに行きなさい」と言われて。ナイトスクープの収録が隔週なので、そのためのロケに月2回。だから年20本くらいかな、それを2年間続けました。あの番組って、昔はABCホールという600人くらい入る大きなホールにお客さんをぎゅうぎゅうに詰めて収録していたんですよ。ロケVTRを流すときは会場を暗くして、映画館みたいにしてみんなが観るんです。600人の前でスベったときの怖さってすごいんですよ(笑)。

── スタジオ収録もその場で見守っているんですね?

津野:はい。ロケに行って、探偵と「どうや?」「大丈夫ちゃいますかねえ」とか話した、そのVTRが思ったとこでひとつもウケなかった時の怖さ(笑)。ただ、ウケた時もすごいんです。狙ったとこで600人が笑うのを聞いた時に、「うわすごいな、こんな気持ちええんや」と。(ディレクターの楽しさに目覚めたのは)それだったのかなあ…。

── 「この依頼はウケたなあ」と記憶にあるのはどんなロケですか?

津野:一番最初にウケたなと思ったのは、桂小枝さんのロケで、和歌山のお母さんからの依頼でした。そのお母さんには2、3歳の息子さんがいて、「毎朝遊びに出かけるんやけど、帰ってきたら絶対フルチンになっている。どこで服を脱いでいるのか調べてくれ」という。今だったらたぶん放送できないですけど、その子、家を出たらすぐに服を脱いで、街中をフルチンで歩き回ってるんです。それを、近所の人がみんなすごく優しくしてくれるんですよ。それはウケたなーと思いました。まあ、ズルいですけど。

── ズルいというのは、題材自体がもう面白いからですか?

津野:はい。絶対題材が面白い、こっちの手が何も加わっていないので。そんなもんがウケたというのは恥ずかしいですけど。

千鳥との出会い、ターニングポイントはたむらけんじ

── 制作会社に入って3年目からの2年間は、『ナイトスクープ』のロケに行って、毎回スタジオ収録を見守ってという日々だったんですね。

津野:そうです。全部観て、毎回スベって。思ったようにできないんですよね。ディレクターの仕事ってすごく説明しにくいですけど、思うように撮りたいものを撮るにはやっぱり10年くらいかかるんですよ。

── 10年ですか。

津野:ディレクターって、いろんなタイプの人がいるんです。たとえば街ブラ、「芸人さんが商店街を歩くロケを撮ってきてくれ」と言われて、全部の段取りを決めて、それに沿って撮る人もいる。ちなみに僕は何も決めません。入り口しか決めずに、目の前で起きたことを組み立てていくタイプ。大きくわけると、この二つの方向があって、どっちかに振り切れればいいんですが、若いうちは振り切れないんですよ。たとえば僕の真似をしても「何もせずに帰ってきました」みたいなことになるし、段取りを決めて撮るほうを真似しても「無理やりやりました」感が出ちゃうんです。いい塩梅ができない、だから難しい。

── それは、自分のやり方や塩梅を見つけていくしかないということでしょうか。

津野:そうですね。経験、場数だと思います。僕は『ナイトスクープ』の2年間で、何十回とロケに行って失敗をして。あれだけ人気の番組、普通なら失敗は許されないんでしょうけど、幸運なことに失敗を許されていたんです。失敗はしていい、その代わり前のめりに転がりなさい、やりきって失敗しなさいという場所でした。もちろん怒られるし、他のディレクターから「なんやあのおもんないVTR!」とか、めちゃくちゃに言われますけどね。そこで僕は場数を踏めたので、多少のことではびっくりしなくなりました。今だとロケの場がそこまでないし、若い人に初めからそこまでやらせてくれない。「2年間『ナイトスクープ』だけ」なんて、いい時代だったと思います。

── そこからはまた、別の番組に?

津野:『ナイトスクープ』を丸2年やってみても、まだなにひとつわかっていませんでした。ただ、「やりたいことはこんなことじゃない」と思いながら「おならで『ナイトスクープ』の曲を奏でたい」みたいなロケをやって、「こんなことじゃない」と思いながらスタジオにかけて、ややウケで。でもやりたいことが何なのかさえ、ちゃんとわかっていなかった。その後、トミーズさんがやっている『せやねん!』(毎日放送)という番組で、トミーズ健さんとたむらけんじさんのロケを担当するんです。トミーズ健さんとたむらけんじさんで「Wケンちゃんの!ハローワーク」という、二人が再就職先を探しに行くロケをやったんです。スーツを着て面接を受けて、実技試験をやって毎回怒られるっていう。まあ、ボケ合いですけどね。初めて自分で考えた企画で、やや人気もあったので、楽しかったんです。それでだんだんやりたいことを形にできるようになっていったのかな。でも、やりたいことに気が付いたきっかけがたむらさんなのはなんかイヤだなあ(笑)。

── 『せやねん!』といえば、津野さんは千鳥がロケ芸人として評価されるようになったきっかけの、おかずをもらうロケ(特選千鳥弁当・ちょっとちょ〜だい)も担当されていますよね。

津野:「千鳥弁当」は僕、途中から参加してるんですよ。きっかけは番組をクビになったことで。

── クビですか?

津野:「Wケンちゃん」のロケで、チェーン店の自転車屋さんの面接を受けに行く回があったんです。僕がその日の反省会で「天気が悪くて一般のお客さんがあまりいらっしゃらなかったので、ちょっと緊張感がなかったかもしれません」と言ったら、当時の番組プロデューサーの方が「天気が良くてお客さんがたくさん来て並んだら迷惑をかけるやないか、お前はそんなことがしたいのか」とおっしゃって。「いや、現場で事情も説明してますし、もちろん全く迷惑をかけていないとは言わないけど、そこはちゃんとやってます」と答えたんですけど、相手は全然収まらなくて、みんなの前で「お前はそうやって一般の人を笑いの道具にしてんのや!」って。「そんなわけないじゃないですか、じゃあ1回僕のロケ観に来てくださいよ!」と返したら「行かへん!」と言われて(笑)。要はむちゃくちゃ喧嘩して、クビになったんです。僕、『せやねん!』を都合3回クビになってるんですけど、それが最初のクビですかね。

── 3回ですか!(笑)。

津野:あとの2回は何でだったか忘れちゃいましたけど(笑)。それで僕が『せやねん!』を離れていた時期に、トミーズ雅さんが「千鳥のロケは面白い、二人には好きにロケをさせえ」と言っていると。で、先輩ディレクターが千鳥とロケコーナーを立ち上げることになったんです。それが「千鳥弁当」で。2年くらい経って、その先輩が会社を辞めることになり、先輩が担当する最後の「千鳥弁当」が周年記念で沖縄ロケをするというので「ADで来てくれへんか」と誘われて、まあ沖縄に行きたいなあと思ったから行ったんですよ。そのロケが終わって、ご飯を食べた後、風俗店かなんかの狭くてきったない待合室でノブくんからふと「津野さんのことはたむらけんじさんから聞いてます。津野さんは、僕らがプロデューサーにお願いしたら『千鳥弁当』やってくれるんですかねえ?」と言われたんです。

── それまで、千鳥との面識は?

津野:会ったことくらいはありましたけど、ちゃんとしゃべるのはその日が初めてでした。でも喧嘩して番組をクビになっていたので、「戻してもらえるんやったらやりますよ」と伝えました。そしたら、ほんとにその後から「千鳥弁当」を僕がやることになったんです。出戻りですね。

── そんな経緯が。

津野:結局「千鳥弁当」は1年くらいしかやってませんけど、そこで初めて千鳥と一緒に仕事をして。たむらさんが若い芸人さんに「芸人のやりやすいようにロケしてくれる」とでも言ってくれていたんでしょうね。

── やはりたむらけんじさんが津野さんのターニングポイントなんですね。

津野:なんかイヤやなあ(笑)。でもきっとそうなんでしょうね。

千鳥との密かなやり取りが実を結んだ『相席食堂』

── さまざまな番組を経験して、「これはようやく自分のやりたいことができた」と感じた番組はありますか?

津野:「やりたかったのはこれなんだな」というか、「やってきたことがこうやって実を結ぶんだな」と思ったのはやっぱり『相席食堂』です。

── 『相席食堂』。3年前にスタートした番組でようやく。

津野:「千鳥弁当」で千鳥と出会った後、『今ちゃんの「実は…」』(朝日放送)という番組で千鳥の、酔っぱらいと一緒に家に帰るロケをはじめたんですよ。京橋という大阪の立ち飲み屋街で酔っぱらいに「こんな時間まで飲んでたら奥さん心配するでしょう、一緒に帰ってあげるから家に帰りませんか?」と声をかける。家まで向かう車で「家に行ったら大悟が『腹減ったわあ』って言うから、奥さんに『おい、千鳥さんが来とるんやからなんか出さんかい』って言うてください」とお願いするんですよ。だいたいみんな酔っ払ってるから車内では「よっしゃ、任しとけ」となるけど、いざ家に帰ったら奥さんがめちゃくちゃ怒っていて、絶対に言わないんですよね(笑)。そのコーナーは長いことやっていて、楽しくて。あとは、土肥ポン太さんというお野菜に詳しいピン芸人さん…じゃなくて(笑)、めちゃくちゃ面白いピン芸人さんと、野菜を紹介するといいながら遊んでいるだけのロケをしたりもして。

── だんだん、ご自分の思うような楽しいロケができるようになっていったわけですね。

津野:そうですね。昔から「津野さんのVTRってユルいですよね」とよく言われるんですけど、僕自身は全くユルいとは思っていないんです。まあ、そのスタイルを崩さずにずっとやってきたんです。『相席食堂』って、ちゃんとしたVTRを流したら何も起きないんですよ。あくまでも自然にちょっとユルく、何かが微妙に間違えているような、でも普通に観てても観ていられる、くらいのVTRじゃないとダメなんですよね。

── 千鳥の二人がボタンを押す余地があるものでないと。

津野:そう。でも、ボタンを押させようとして作ったらダメなんですよ。これこそ、千鳥と長いことロケをしてきた中で培ってきたものなんです。「千鳥弁当」だとか酔っ払いロケのとき、僕は千鳥の二人が「ここは使わないだろう」と思うところをなるべく使うようにしていたんですよ。すると、スタジオで観ている二人は「お前どこ使うとんねん」となって、「ほんならこうしたらどうなんねん」と(ロケ中に振る舞う)。僕も喜んでそこを使う。というのをずっとやっていたんです。一度も千鳥の二人とそんな話をしたことはないですけど、言葉にせずに「これならどう?」「じゃあこうするわ」というやりとりを、ずっとやっていたのかもしれないです。

── 本来、視聴者には見えないところでのディレクターと芸人とのやり合いを、目に見える形にしたのが『相席食堂』ということでしょうか?

津野:僕はそう思っています。だからものすごく難しいものを、視聴者の方に観せてると思うんですよ。こんなもの観せていいのかなって思うくらい。僕らが勝手に裏で楽しんでいたことを、テレビショーとして観せているので。

── お話を伺っていると、よくそんな番組が生まれたなと思うのですが。

津野:元々は旅番組として作られたものなので…。いや、今も旅番組ですけど(笑)。ただ初回の単発特番の時、菊池桃子さんのロケで、なぜか焼きそばばっかり食べていたところが「何やこれ」となった。でもその時は今ほどVTRを止めてツッコんでという感じではなかったんです。それを受けてレギュラー初回を僕が担当して。こんなの出していいのかな?と思いながら、普通なら使わないところも使って、なるべく旅番組は意識するけど不必要な部分がなんか多いな、くらいの作り方をしたら、千鳥の二人に思いのほか喜んでもらえたという感じでした。

── レギュラー初回で試しに“昔の感じ”をやってみたのが、うまくハマったわけですね。

津野:結局、僕のロケがユルいと言われるテイストになるのは、観ながらやいやい言ってほしい、その余地を作っているからだと思うんです。だから『相席食堂』でやっていることは、かつて千鳥とおかずを探したり、酔っぱらいに声をかけたりしている時と変わらない。酔っぱらいロケですごく覚えている人が二人いて。一人は底抜けに楽しい人で、ベロンベロンに酔っていて、奥さんがいるという家に帰ったら実は別居していた人。そのご主人がちっちゃい蕎麦を出してくれたのをすごく覚えているんですよ。もう一人は、もう少しで家に着くというときに「トイレに行きたい」と言い出した酔っぱらい。「もう家近いんやから急ごう!」と声をかけるんですけど、その人がスッと立ち止まって、おしっこを我慢してる顔が、むちゃくちゃ男らしいというか、勇ましかったというか。

── はい(笑)。

津野:奥さんが逃げていたご主人も、おしっこを我慢していたご主人も、言葉を発しないんですよね。ただ黙っているその顔が、めちゃくちゃ面白いんですよ。「ずっと見てられるわ、この顔」って思う。今どきのテレビとかYouTubeってそういう部分を詰めるけど、僕はそこを切りたくないんです。なんだろう、余白ですよね、余白がどんどんなくなっていっている中で、『相席食堂』は余白を楽しむ番組だと思うんです。ユルいユルいといわれてきたものが、もちろん千鳥のおかげもあって、やっと商品になった。ただ、別にこれをずっとやりたいかと言われるとそうでもないんですけど。

── たまたま、この形になっただけであって?

津野:そう。だから、「『相席食堂』ってこうだよね」とか「『相席食堂』はゴールデンでやって振るわなかったらしいけど、あれでいいんだよ」と、話しているテレビマンがよくいらっしゃるそうなんですけど、もしわかっているんだったら僕が教えてほしいくらいなんです。『相席食堂』は、僕らでもまだ得体の知れない、言葉にできないものなので。自分でもわからないことをずっとやっているんです。

「ロケがうまい」芸人の条件

── 『相席食堂』を見ていると、大悟さんの視野の広さに驚かされることが度々あります。たとえばM-1ファイナリストがロケをする回で、オズワルドの奥のおじいさんを見つけたり、錦鯉のいるフードコートの奥の方のカップルのことを指摘したり。

津野:千鳥の二人は確かに視野が広いですよねえ。「そんなとこ観てるんか!」と思うときがあります。ロケがうまい芸人さんって、だいたい視野が広いんですよ。全部観ている。千鳥は特に、お互いに本当に信頼しあっているんでしょうね。ノブがちゃんとメインを観ているから、大悟は安心してそこをノブに任せて、なるべく違うところを観るようにしているんだと思います。かなり初期の段階からそうしていると思いますね。

── ロケがうまい、というのは視野が広いのと、あとどんな条件がありますか?

津野:自分よりも相手、街で出会う一般の方を素敵に見せることができるか、じゃないかと思うんですよね。街の人と絡むロケで、ロケがうまい芸人さんと一般の方が絡むことで、例えば、ふとん屋のご主人がすごくかわいい人、面白い人に見える。あとは無理をしないことですかね。なるべく流れに逆らわない。今の話をもう少し平たく言うと、相手の話をよく聞くかどうか、じゃないですかね。だいたい芸人さんって、相手の話を半分くらいしか聞いてないんですよ。ロケがうまい人は、相手の話をちゃんと聞いて、それに答えるふりをして自分のやりたいことをやる。相手の話を置いといて自分のやりたいことだけを前に出す人は、面白いかもしれないけど、ロケがうまい芸人にはならないですよね。千鳥はそこが絶妙にうまい。何より、相手を嫌な気持ちにさせないのが大きいですね。僕のこの考え方は、『ナイトスクープ』で育ったからだと思います。あの番組は、依頼者がいかに面白く映るかが一番大事。その点でいくと千鳥はやっぱり、土地の人を不快にさせない。アキナもそうですね。

ドキュメンタリーを撮りたいのかもしれない

── 津野さんはアキナのYouTubeにも参加されていますが、「余白を残す」と話されていたその『相席食堂』の、さらに使わなかった部分がアップされていたりしますね。

津野:YouTubeは誰にも何も言われないから、面白いですね。あれは、ずっとアキナと「ロケしたいですねえ、でも流すところないですねえ。流さんでもいいからロケだけしたいですね」と話してて(笑)。出す方法を探ってみたんですけど、今はもうYouTubeが一番簡単かもな、ということでチャンネルを立ち上げたんです。YouTubeであることにこだわりはないので、「YouTubeだったらもうちょっとサムネイルを興味引くものにしたほうがいいですよ」とかよく言われるんですけど、別にそこはどっちでもよくて。

── 制限がない分、“余白”を存分に入れている感じがあります。

津野:使えるところは全部使っている感じですね。

── バラエティというか、ドキュメンタリーのようにも見えます。

津野:最近、僕はひょっとしたらドキュメンタリーが撮りたかったのかもしれないなって思うことがあるんですよ。今、『魚が食べたい!〜地魚探して3000港〜』(BS朝日)という番組をやっていて。普通、最近のロケって1日で行って帰ってくるんですけど、ここでは3日くらい滞在するんです。他に何人かいるディレクターは釣り好きだったりするんですけど、僕は釣りをやったことがなくて、おまけにいま歯がないんです。

── 歯がない?

津野:ロケ中にこけて前歯を折りまして、上の歯を全部入れ歯にすることになったんですよ。その時、歯医者に下の歯も入れ歯にしたほうが噛み合わせはよくなると勧められたんですけど、最初はその勇気がなくて。でも下の歯だけ磨いているうちに、「何をやっとんねん」という気持ちになって、結局下も抜くことにしたんです。ところが上下の歯の型をとったところでコロナになって、歯医者に行きづらくなり、そうこうしているうちに歯がない状態でしゃべるのも食べるのも慣れてきて、このままでもいいかと。

── ええ……。それが、魚を食べるときに困るわけですね?

津野:最初に番組の会議に呼ばれたときにも「僕いま歯がないですけど、おいしい魚を食べるときどうしましょう?」と相談したら、みんな歯が全くない人に会ったことがないから「とりあえずロケに行って考えよう」となって(笑)。結局、貝とか以外はけっこういけるんですけど、釣り経験ゼロ、歯もゼロのディレクターとして出ている、これはもうほぼドキュメンタリーです。

── なるほど(笑)。

津野:3日滞在すると、だいたい漁師さんと仲良くなるんです。もう船を見ただけで「これは誰の船」ってわかる。3日目の朝に「自分がこの漁師町に生まれてたら」と考えたり、漁師さんにすごく気に入ってもらって、もてなしてもらって、3日目に「もう帰らなあかん」と伝えたら「炊き込みご飯炊くから、もうちょっとおらん?」って言われたり。こうして直接やりとりしてみると、これまで芸人さんとロケをしていた経験が役立つんです。あのときあの人がこう話していたのはこういう理由だったんだな、とかいうのがだんだんわかってきたりして、いかに芸人さんがすごいかがよくわかりました。

次はアフリカで番組を作りたい

── では津野さんは今、バラエティと、ほぼドキュメンタリーのような番組に関わっていらっしゃるんですね。

津野:そうですね。でもバラエティは今でもほんとにわからないです。僕は生まれが関西の人間ではないので、「自分が一番オモロイ」とも、まったく思わないですし。

── 『ナイトスクープ』を13年やっても、1年目で出会った5人の先輩のようにはならなかったわけですね。

津野:あんなふうにはなれなかったですね(笑)。どこか邪魔をするんですよ、岐阜生まれというのが。『ナイトスクープ』で僕がやっていたのも、めちゃくちゃ小さいネタばかりでしたし。「子供がおもちゃの形の消しゴムを部屋で投げてなくして見つからない」という依頼に、「君はここから投げたんやろ、ほんなら絶対部屋ん中にあるで」「我々が君に教えたいのは諦めない心だ」とか。「男の子が制服の白いシャツを友だちと取り違えて、今着てるやつはすごく小さい」という依頼とか。そんなネタばかりやっていました。『ナイトスクープ』は結局13年やって、会社を辞めて独立するときに外れたんですけど、最後に担当したのが今でも一番大好きなVTRです。沖縄の人からの依頼で、「飼ってる犬と猫の仲がすごく悪い。仲良くさせてあげてくれないか」というもので。間寛平さんとロケに行って、「どうする?」と寛平さんから言われまして。どうやら犬のほうが猫にちょっかいをかけているらしいんですけど、「犬には犬の言い分があると思うので、まずは寛平さん、犬の話をちゃんと聞いたってください。まずはそっからやと思うんです」と言ったら、寛平さんが「せやな、うん、わかった」と言ってくれたんです。

── (笑)。

津野:で、仲良くなったんですよ。寛平さん、ちゃんと犬の話を聞いてあげてくれて。探偵さんってすごい。なんでも解決してくれますからね。

── 津野さんは、たくさんの依頼がある中から好んでそういう依頼を選んで、ロケに行っていたということですよね。

津野:そうですね。とるにたらないようなことだけど、当事者は真剣というか。そういう、問題が小さければ小さいほどいいと思っている時期が長かったですね。

── これから、どんなことをやりたいですか?

津野:本当はアフリカでテレビ番組を作りたいんですよ。『相席食堂』のロケでセネガルに行ったら、基本流れているのは宗教の番組だったんです。宗教家が話すのを周りがありがたく聞いていて、後ろで一人楽器を弾いているというよくわからない構図の番組。バラエティはなさそうで、夜中に観たテレビでは、浜辺でやってるバスケのフリースロー大会みたいなのが延々と流れている。でもテロップが出ていなくて、どんなチームかも、どちらが何点なのか、いつ勝負がつくのかもわからない。次の日セネガル人に「昨日のバスケの番組は何?」と聞いたけれど、その人は、何を聞かれているかがわからないんです。それで通訳の日本人の方に聞いたら「あれは娯楽番組だけど、セネガル人は識字率が低いから字幕を入れても意味がないんですよ」と教えてもらって。そんなの見ると、ここで番組作りたい、と思ってしまう。コロナが落ち着いたらちょっと本気で行ってみたいなと思っています。

津野 允(つの・まこと)
1978年生まれ、岐阜県出身。テレビのディレクター。これまでに『探偵!ナイトスクープ』(朝日放送テレビ)のほか、千鳥が酔っぱらいに連れて帰ってもらうロケ、土肥ポン太がお野菜を紹介するロケ、千鳥がお弁当のおかずをもらうロケ、くっきー!と浅越ゴエが入りにくいスナックを調査するロケ、土肥ポン太が田舎の土地を観光地にしようとして半年経っても一向に進まないロケを担当。2015年に独立し、株式会社ポキールを設立。現在は『相席食堂』(朝日放送テレビ)や『アキナのアキナいチャンネル』(YouTube)のほか、『魚が食べたい!〜地魚探して3000港〜』(BS朝日)では自分が出演しながらロケをして、それをぐっさんが見るという不思議な番組のロケを担当。