第三十二回特別インタビュー 山内ケンジ(劇作家、映画監督)岩谷健司(俳優)鄭亜美チョン アミ(俳優)

CMディレクターとして数々の忘れがたい作品を世に送り出し、さらには劇作家、演出家、映画監督と、幅広い活躍を見せる山内ケンジ。そんな山内作品に欠かせない俳優、鄭亜美と岩谷健司を迎えた監督最新作は、二世帯住宅で暮らす家族を中心とした、“純粋社会派深刻喜劇”だ。日本のいたるところにありそうで、だがそのヴェールは厚く覆われた問題を、山内らしい笑いとエロスであぶり出す本作。撮影にも使われた山内の実家で、鄭と岩谷も加えた3人にたっぷりと話を訊かせてもらった。

持続可能な撮影方法を探る、つまりはSDGs撮影

――新作映画『夜明けの夫婦』ですが、創作する上での発想の起点になったこととは?

山内ケンジ(以下、山内):まずは鄭亜美さんを中心に書くということですね。実は一度撮影のためにオファーされていた公演をキャンセルしてもらったことがあったんですが、どうしても僕が書けなくて。結局撮影出来ず、ずっとその時のことを心苦しく思っていたんです。だから今回はなにがなんでも撮るぞと。鄭さんとの出会い自体は、もうずいぶん前のことですけどね。「青年団」の公演で見つけて、それ以降、僕がずっとやっていたコンコルドっていう静岡県限定のCMにもちょこちょこ出てもらったりして。

鄭亜美(以下、鄭):コンコルドがもう13年前ですね。

山内:そんな前か。その後、自分がやっている「城山羊の会」という演劇にも出てもらったりして、という経緯ですね。

:初めて演劇の現場でご一緒したのが、Wけんじ企画『ザ・レジスタンス、抵抗』(2016)だったんですけど、その題材から戯曲から演出から、すべてが衝撃的な面白さだったんです。ものすごく心惹かれるものがあって、その時に「一生山内さんについて行きたい!」って思いました。……あれ、気持ち悪いですか?(笑)

山内:いやいや、「青年団」と「ハイバイ」に所属しているんだから、みんなにそう言ってるのでしょう?(笑)

:言ったことないです! (青年団主宰の平田)オリザさんにも(ハイバイ主宰の)岩井(秀人)さんにも。

山内:そっか。まぁあと起点になったこととしては、場所ですね。(取材場所で、山内の実家でもある)この家と周辺を撮影に使うってこと。チラシのこの写真なんて、すぐそこで同じアングルが撮れますから(笑)。というのも今までやったことがないぐらいの低予算でやってみたい、これをひとつの方法として、今後も続けていきたいと思っていて。そういう方法論を見つける、というのかな。いわゆるSDGsな撮影ですよね(笑)。

岩谷健司(以下、岩谷):このダイニングは『友だちのパパが好き』(2015)にも出てきますよね? 俺の座っている位置が吹越(満)さんなだけで(笑)、周りはなにも変わらない。

山内:そうですよ。コンコルドの撮影でも使いましたし。

岩谷:どうりで既視感がありました(笑)。

岸田國士戯曲賞で今後破られないであろう、とある記録

――では鄭さんとご実家の存在が、この映画の原動力となっているわけですね。

山内:そうそう。あとは鄭さんの夫役で、岩谷さんの息子役を演じられそうな俳優がなかなかいなかったんですよね。でも2019年にやったENBUゼミナールのワークショップで、今回出演している泉拓磨くんを見つけて。これで書き進められるぞ、と思ったんです。

岩谷:彼のことは俺、今回初めて知りました。

:私も。

山内:正直そのワークショップでも、本当なに考えているのか全然わかんなかったんですよ(笑)。まだコロナ前だったから、終わったあとに居酒屋とかも行ったんですけど、その時もひと言もしゃべらなくて。

岩谷:そのわかんない感じが良かったってことですか?

山内:そうね。ワークショップの時の映像を繰り返し見ていて、彼がいいかなって。ただこれは撮影を始めてから気づいたことなんですけど、鄭さんも泉くんもすごく肌が白いんですよ。で、壁も白かったりするから、技術的なフォーカスの難しさはありましたね。ははは。

――一方、城山羊の会のレギュラーとも言える岩谷さんとは、もうかなり長いおつき合いになりますね。

岩谷:覚えてないぐらいですね(笑)。それこそ城山羊の会の前からだから……。

山内:「午後の男優室」。

岩谷:そうだ。2003年ごろ、俺と岡部たかしと村松利史さんで、午後の男優室っていうユニットを組んでいたんですよ。山内さんは村松さんのお知り合いで、あとこの映画のカメラマンの渡部友一郎くんも俳優で出ていたりして。

:へぇ、そうなんですか!?

岩谷:そうそう。で、そのうち山内さんが城山羊の会で演劇を始めて。あれ、いつからでしたっけ?

山内:僕が長編演劇を初めてやったのは2004年ですね。だから歳のわりに、演劇をやっている年数はそれほど長くないんですよ。ノゾエ(征爾)さんのほうがよっぽど長い。

鄭・岩谷:(笑)。

岩谷:始めた時は、山内さんがこんなにコンスタントに演劇を続けるとは思わなかったですけどね。おいくつから始めたんでしたっけ?

山内:45。だって岸田國士戯曲賞の“最年長”受賞者(当時56歳)だから。

岩谷:“最年少”はよく聞きますけどね(笑)。

山内:この記録は今後破られることはないでしょうね(笑)。

さいたまゴールド・シアターに学ぶ、老人自主映画

――完成作品をご覧になっての感想はいかがでしたか?

岩谷:観た時にいろんな方向に考えがいくなと思いました。映画とか観ている時って、「なんとなくこうなるんじゃないかな?」と予測したりすると思うんですけど、これはそうはなっていかない。そういった意味ですごく面白いなと。あと最後のライブシーンはなんか感動しちゃいましたね。なにに感動しているかはわからないんですけど(笑)。なんか不思議な感覚でした。

:私はまだ一度しか観ていなくて、しかもそれが「東京フィルメックス」という映画祭の時だったので、舞台挨拶があったり、とても緊張していたんです。だからまだあんまりちゃんと観れていないというか、雑念が混じってしまっていて……(笑)。

岩谷:1回目は意外とそういうものかもね。今さらどうしようもないのに、「俺頑張れ!」とか思っちゃう(笑)。

:今さらどうしようもないですね(笑)。

岩谷:そうそう、どうしようもない。でも「セリフ間違えてないかな?」とか心配しちゃうんだよね(笑)。

:私はとりあえず「編集ってすごい!」と思いました。あんなにやりっぱなしで撮影を終えたのに、ちゃんと繋がっている。まるでだまし絵を見ているような感覚でした(笑)。

――では撮影期間中で、特に印象に残っている出来事やシーンは?

岩谷:俺はまさにここで撮った、家族の長回しのシーンですね。結構長時間の撮影で。

山内:あれはさ、ガラスにカメラとかマイクとかが写っちゃうのよ。だから技術的なことに時間がかかっちゃって。

岩谷:しかもカットを割らないから、NGになると結局頭からやり直さなきゃいけないんですよね。だからノンアルコールビールでお腹ガバガバになっちゃって(笑)。

:私は(李)そじんさんとふたり、韓国語で話すシーンです。そじんさんとは今回初めて、しかも結構ディープな話を韓国語でするシーンということで、事前にふたりで話し合う機会を山内さんがコーディネートしてくださったんです。そこでお互いの生い立ちとか、いろいろ話すことが出来て。結果、それがめちゃめちゃ良かったなと思います。

山内:その時ふたりは韓国語でしゃべっていたの?

:織り交ぜながらですね。私は朝鮮語、彼女は韓国語の方が得意なので。

山内:朝鮮語と韓国語ってちょっと違うんだよね?

:そうなんです。いきなり撮影だったらそのすり合わせも出来ず、お互い変な引っかかりを感じたままのやり取りになっちゃったと思うんです。でもそういうのを全部埋めた状態で撮影に臨めたので、すごくうまくいったなと思います。

山内:あのシーンも技術的なことが大変だったんですよ。雨が降ってきたり、そもそもスタッフの数が少ないから。

岩谷:足りない部分はほとんどプロデューサーの野上(信子)さんがやってましたもんね(笑)。ひとり何役も。

:マイクも持ってらっしゃいましたよね?

岩谷:そうそう。プロデューサー兼、録音部兼、照明部兼、小道具兼……(笑)。

山内:まぁ、自主映画でそういうことは別に珍しくもないんですよ。ただここまで小規模になるとなかなか。若ければ出来るんですけどね。でもそうじゃない。老人自主映画だから(笑)。さいたまゴールド・シアター(※2006年に故蜷川幸雄が発足させた高齢者演劇集団。2021年に活動終了)みたいな(笑)。

鄭・岩谷:(笑)。

山内:僕、初めてゴールド・シアターを知った時、これからの日本のことを考えて「なるほどな」と思ったんですよ。だから自主映画だって若者だけのものじゃない。こういう形態で作り続けられることは、いろんな意味で良いことなんじゃないかなと思うんですよね。

築40年の自宅が解体されない限り、ここで撮り続ける

――では今後もこのご自宅を舞台に、映画を撮られることはあり得るということですか?

山内:あり得る、あり得る。この家が解体されない限り。もう築40年ですからね。そろそろ老朽化がひどくて。

:意外! こんなにきれいなのに。

山内:いや、もう限界に近い。だから早く撮らないと。

岩谷:あれ、4月くらいにまた撮るって言っていませんでした?

山内:そうそう、今書いてる。

岩谷:あっ、まだ書いてる段階なんですね(笑)。

山内:まぁまずは『夜明けの夫婦』のことを知ってもらわないと。でもいったいこれを何人のお客さんが観に来るのか。

――そんな、山内さんのコアなファンは多いと思いますよ(笑)。

山内:それだって全国で200人ぐらいでしょ?

鄭・岩谷:(笑)。

岩谷:200人だったら、映画館1日で終わっちゃいますよ(笑)。

山内:そうそう。だって今、日本映画って作られる数が本当に多いでしょう? 特にインディーズ系。しかもクオリティも高くて。だから今のこの状況で、映画館でかけてもらえるってだけでも大したもんだとは思うんですよ。

岩谷:確かに。しかも新宿ピカデリーですもんね。

山内:(関東は)新宿ピカデリーと、ポレポレ東中野と、下北沢トリウッドっていう、すごく変則的な3館(笑)。ただピカデリーは1日しか出来ないでしょうね。

:1日!?(笑)

岩谷:1日って、本当に山内さんのファンだけですよ(笑)。

――まずは『夜明けの夫婦』を多くの方に観ていただきたいのですが……、今後の山内さんの展望もお伺い出来ますか?

山内:ひとつはさっき話した映画ですね。今回はコロナが終わったころの話でしたが、次はコロナ真っただ中の映画を撮ります。去年城山羊の会では、『ワクチンの夜』というコロナワクチンの話をやりましたが、こっちは飲食店の人たちが経営難になって……というところから始まる話。あとは今年の11月、KAAT神奈川芸術劇場で城山羊の会の新作をやります。どんな内容かは、まだ全然書いていないのでわかりません(笑)。でも初めてのKAATなので、なるべく早く書かなくては、とは思っています。

岩谷:『ワクチンの夜』の時も、「今回は早いよ」なんて言ってましたよね?

山内:でも結局全然(笑)。1日、2日くらい? ちょっと早かったぐらいでしたね。

岩谷:しかもいつもの級数より大きく書いてて、ページ数はいってるように見えたけど、実はそんなにいってなかったっていう(笑)。

山内:そうそう。だから今回もどうなるかはわかりません(笑)。

■プロフィール

山内ケンジ(やまうち・けんじ)
劇作家、映画監督
生まれてから長い間CMディレクター&プランナーとして活躍、「NOVA」「コンコルド」「クオーク」「ソフトバンク」等話題のCMを多数手がける。
一方、04年から劇作を始め、2014年「トロワグロ」で第59回岸田國士戯曲賞を受賞。
「城山羊(しろやぎ)の会」として毎年演劇公演を行っている。
映画は『ミツコ感覚』(11年)、『友だちのパパが好き』(15年)、『At the terraceテラスにて』(16年)『クソ野郎と美しき世界』(18年・オムニバスの一篇)、最新作は『夜明けの夫婦』(22年)

岩谷健司(いわや・けんじ)
1970年生まれ
1999年ワハハ本舗退団後、俳優村松利史、岡部たかしと共に「午後の男優室」を結成。 その後、CMディレクター山内ケンジ氏の演劇ユニット「城山羊の会」や、作家・ふじきみつ彦氏の 「昨日の祝賀会」等の小劇場で活動する。
近年では、テレビ東京「共演NG」(2020)テレビ朝日「漂着者」(2021)テレビ東京「僕の姉ちゃん」(2022)映画『夜明けの夫婦』(2022公開/山内ケンジ監督)映画『遠いところ』(2023公開予定/工藤将亮監督)TVCM タクシーアプリGO「GOする!取り合い」篇(2021)にゃんこ大戦争 Q周年記念TVCM(2021)TVCMジザイ「社長動く」篇(2022)など多くの作品に出演する。

鄭 亜美(ちょん・あみ)
東京生まれ。2007年に、平田オリザ主宰の劇団青年団に入団。以降、平田オリザ作・演出作品に数多く参加する。2019年、劇団ハイバイ(岩井秀人主宰)に、青年団と並行して入団。2021年からはダンスカンパニー「マドモアゼル・シネマ」に参加し、コンテンポラリーダンサー・振付家の伊藤直子に師事している。踊ることが好き。野田秀樹主宰の演劇道場第2期生に在籍中。普段は会社員。

■『夜明けの夫婦』
コロナ終息後の日本を舞台に、子作りのプレッシャーに晒されながら暮らす夫婦の姿を描いた“純粋社会派深刻喜劇”。
夫・康介の両親と一緒に暮らす33歳のさら。夫婦に子供はおらず、義母・晶子は子作りを催促してくる。しかし、パンデミックの間、さらと康介は、今までよりもはるかに長くこの家に居たのに、すっかりセックスレスになっていた。一方、晶子は年老いた母をコロナで亡くし、どうしても孫の顔を見たいという欲求で精神的に不安定になっていた…。
7月22日(金)新宿ピカデリー ポレポレ東中野 下北沢トリウッドほか全国順次公開
公式HP https://yoakenofuufu.jp