第二十一回特別インタビュー いしいしんじ(小説家)

小説家・いしいしんじについてネットで調べてみると、「いわゆる奇人」とあった。書くものが? それとも言動が? 小説の話を真面目に聞いたことはないし、会えば大抵みんな最終的には酔っ払っている。はたして取材は成り立つのだろうか。一抹の不安を抱えながら始まった、いしいしんじの弟と義妹による3日間の密着取材。特別編として2回に分けてお届けします。

【前編】

 東京で梅雨明けが宣言された日の午後、小説家で義兄のいしいしんじと、乃木坂で待ち合わせた。京都で暮らすしんじ兄は今日から3日間、東京に滞在する予定だ。もともと決まっていたいろんな用事に、弟(私の夫)でフォトグラファーの石井孝典と私が、あちこちくっついて歩き、写真を撮ったり話を聞いたり、ゆるやかな密着取材をすることになったのだ。
 待ち合わせの場所は、「gallery ART UNLIMITED」。しんじ兄と親交のある、大竹伸朗さんの娘・大竹彩子さんの個展『宇和島⇄東京』が開催されている。
「いしいさん今日、三鷹天命反転住宅に泊まるんでしょう? ハンモックをクリーニングに出してお待ちしているって聞いたわよ」とギャラリーのオーナーの高砂三和子さん。三鷹天命反転住宅というのは美術家の荒川修作氏とパートナーのマドリン・ギンズ氏の作品で、ハンモックで寝たりするくらいちょっと変わった住宅らしいのだが、しんじ兄は2日後にここでイベントをすることになっている。
 そして本当に偶然なのだが、高砂さんは生前の荒川氏のことをよく知っているそうで、さらに大竹彩子さんも三鷹天命反転住宅を撮影したことがあって、その写真集がまるでしんじ兄を待っていたかのように会場に置かれていた。というのも、2日後のそのイベントでしんじ兄は荒川氏に「なる」らしいのだ。いきなり導かれたような展開だが、物語をつくる人であるしんじ兄はこういうのが大好物で、「ふたりが俺を取材することが決まった時点で、もう始まってんねん」と嬉しそうにほくほくしている。ギャラリーでは当然、荒川氏が残した数々の伝説で盛り上がった。
 乃木坂から渋谷に移動して、Bunkamuraで開催中の展覧会『マン・レイと女性たち』へ。最初、ここに行くと聞いたとき、しんじ兄がマン・レイを好きなのはなんだか意外な気がした。しかし1時間半ほどかけてじっくり鑑賞したあと、マン・レイをはじめとする好きなもの、つまり、小説を書くうえで根っこの部分にあるものの話は止まらなかった。

大竹彩子さんと『宇和島⇄東京』展にて。

絵が下手で、楽器も下手だったから、小説を書いている。

――マン・レイ展、どうでしたか?

いしいしんじ(以下、しんじ):あの時代のアーティストたちが、ひたすら羨ましかった。めっちゃ楽しかったんやろうなあ。マン・レイを真ん中に据えると、みんなが仲良くなるんやろうね。アンドレ・ブルトンとポール・エリュアールが、仲良さそうに並んで撮られてるの見て、めっちゃ泣きそうなったもん。マルセル・デュシャンもいっぱい出てきてたけど、あの人は賢いから周りを見下す態度もちゃんと計算してて、相手に自分を崇拝させたままにするんよね。マン・レイはむしろ逆。土地土地の女の人とくっついたり離れたりするのもそうなんやけど、随所に人の良さが出てたよね。

当時の伝記とかルポルタージュとかがめっちゃ好きで、高校生の頃よく読んでてね。『アムステルダムの犬』っていう実質的なデビュー作があんねんけど、そもそもアムステルダムに行こうと思ったのは、ベルリンの壁崩壊後の1990年代のはじめのことで。東ヨーロッパの詩人とかダンサーとかストリート音楽の人とか、いろんなおもろいやつらが列車にタダ乗りして、目的地も決めずに一斉に西を目指すわけ。それで最終的にアムステルダムに着くんやけど、広場にそいつらが集まって、そのうち西の人らもやってきて、第一次世界大戦後のパリとかチューリッヒとかニューヨークみたいに盛り上がってるっていうのをなんかで読んで、これは行かなあかん! と思ってな。そんな熱い芸術活動みたいなのって、遠い昔の出来事やと思ってたし、実際にパリとかバルセロナとかチューリッヒにも行ったけど、そんなん何にもなかったから。

それとマン・レイ展を観て思ったのは、女の人がめっちゃきれいやったね。きれいに撮るんやろうとは思うけど、もともときれいな人ばっかりやったから。マン・レイが死んだあとに撮影された、最後の奥さんと、日本人の彫刻家の女の人が一緒に写ってるカラー写真があったけど、あれもやられたなあ。あんなん展示したら、デュシャンやったら亡霊になって出てきて、美術館を焼いてしまいそうやけど、マン・レイの幽霊やったら絶対に許してくれると思うんよ。自分の好きな女性がふたりも写ってて嬉しいって。どうやったら、デジタルの日付とか写真に入れられんの? って普通に聞きそう(笑)。最後のほうの女の人の絵なんかも、ちょうどええ感じの下手さがよくて、これやったら(大竹)彩子ちゃんのほうが上手いんやないのって思った(笑)。彩子ちゃんの女の人の絵と、マン・レイが最後につながった感じやね。

――しんじ兄さんは画家を目指したこともあるそうですが、アートを好きになったきっかけってあるんですか?

しんじ:大阪の実家に、ピカソの昔の展覧会の画集とかが結構あったんよ。母さんの姉さん、要は伯母さんが絵描きで、でかい絵を毎年出品してたり、母さんも印象派の絵とかが好きだったりして、絵を観ることはうちの家ではそんなに特別なことではなかったね。

石井孝典(以下、孝典):もっと遡ると、母さんが俺らに描いてくれた絵本も影響してるんちゃう? 俺らが自分たちで絵を描いてお話を作るんやけど、まだ字が書けへんかったから、俺らが話したことを母さんが文章にしてくれて。あんな絵本できたら、めっちゃ嬉しかったもんな。

――しんじ兄さんが4歳のときの『たいふう』っていう最初の小説も、そうやって書いたんですよね。

しんじ:僕ら兄弟4人が通った、幼児生活団(自由学園の幼児教育施設)って場所の影響も大きいと思う。天命反転住宅みたいな普通でない家で生まれ育った子どもが、学校に馴染まれへんって話をさっき乃木坂でしてたけど、僕らにとってはそれが幼児生活団やった(笑)。

孝典:生活団を卒業して、ちゃんと就職して毎日会社に行ってる人もおるって。

しんじ:でも少ないと思うで。美術教育とか音楽教育も、一般的な幼稚園のお遊戯よりもだいぶ先のことやってたし。才能がちょっとでもあるような子はそっち側に惹かれてしまうっていうか、そういう種を植え付けられるところなんよ。だって俺の小説に出てくることも、大概、生活団のときに触れたことやで。鳩の死みたいな死にまつわることもそうやし、合奏は聴くよりも自分で鳴らすほうが楽しいみたいなこととかも。長野の松本に住んでたとき、母さんと生活団の先生がやり取りした手紙を、全部読み返す機会があって。自分の小説の種みたいなものが、いかに4歳、5歳、6歳のときに埋め込まれているかっていうのが、そのときわかったんよ。それはアイデアをもらっているみたいなことではなくて、本当に楽しいとか好きだって思ったものじゃないといけないっていうか、知識として後付けしたものは小説を一番下から支える土台にはなりにくいってこと。せやから、絵だったり音楽だったりを好きな気持ちっていうのは、自分が小説を書くことを支えてくれてる。小説を読むことよりも、絵を描いたり、音楽を演奏したりすることのほうが先に好きやったけど、絵が下手で、楽器も下手だったから、小説を書いてるみたいなもんで。

自由な人間のつもりでいたのに。

孝典:しんじ兄ちゃんが一番好きなんは、やっぱり音楽?

しんじ:音楽やと思う。だから家でも小説を書いてるときに、音楽なんかかけられへんよね。

孝典:BGMにしながらは無理なんや。

しんじ:もちろんそうやって小説を書く人もおるやろうから、音楽を聴きながら書く人は気が散ってるとかそういうことではないと思うけど。

孝典:本を読むときはどうなん?

しんじ:読むときもあんまりかけへんなあ。まあ蓄音機やし、レコードプレーヤーやったりするから、何かしながらっていうのがそもそも難しいっていうのもあるけど。最近な、一生聴かないんやろうなと思ってたのに、ベートーヴェンにハマってしまったんよ。交響曲とかはまだわからへんから、ピアノ・ソナタやねんけど。ベートーヴェンのピアノ・ソナタって最後が32番やねんけど、30番、31番、32番がセットでレコードに収録されていることが多くて、自分も持ってたけどちゃんと聴いてなかったんよ。そしたらたまたま外で聴いた30番があまりにも愛らしくて、なんじゃこれと思って。近所のレコード屋さんで1枚100円とかで売ってるから、1日1枚ずつ買うようになって、そのうち昔の有名な演奏をもっと聴きたくなってきてな。蓄音機趣味のおかげで、イスラエルのレコード屋とかブラジルのレコード屋とか、世界中にネットワークができてるから、「最近ベートーヴェンを聴き始めて、30番、31番、32番がめっちゃいいんですけど、おすすめの演奏ってどれですか?」って質問してみたら、真っ二つに意見が分かれて。クラシック好きの人はヴィルヘルム・バックハウスの演奏を聴けって言うのに対して、ジャズが好きな人はグレン・グールドを聴けって言うわけ。しかもいろんな本を読むと、グレン・グールドの32番は特にすごいらしい。それを聴くのは最後に取っておこうと思って、まずはスタンダードとされているバックハウスから聴き出したんよ。そしたらもう泣いてしまって、1カ月半くらい毎日バックハウスのピアノ・ソナタばっかり聴いてた。そして一昨日、満を持してグレン・グールドのモノラル録音のピアノ・ソナタを30番から聴き始めて。途中でもう聴けないんちゃうかっていうくらい感激したんやけど、今朝、東京に来る前に最後に取っておいた32番を聴いてきてな。したらまあ、バックハウスとグレン・グールドはそもそも全然違うっていうか、グールドはめっちゃ速く弾くねんけど、最後の最後の弾き方がまったく一緒なのよ。今までビートルズもソニー・ロリンズもビル・エヴァンスも、ほんまにかっこいいなって思ったけど、何百年も聴かれてきたものがいまだにこんなに力を持っていて、たぶん100年、200年、1000年経っても同じようにみんながこの曲を聴いているのかって思うと、改めて音楽を聴いててよかったなってしみじみしたんよね。

うちの兄弟って、スヌーピーが好きやん。シュローダーって子がちっちゃいピアノを弾いてるんやけど、その絵に出てくる楽譜って全部、ベートーヴェンのピアノ・ソナタやねん。それは俺も知識として知ってて、チャールズ・シュルツさんって漫画を1日1話描くんやけど、仕事場に行ってまずすることが、ベートーヴェンのピアノ・ソナタをその日の気分に合わせて選んでかけることなんやって。それを読んだとき、ふーんと思ったけど、俺も聴いてみようかなとは思わへんかった。ベートーヴェンやしな、俺はええわと思って、ほんまに自由な人間のつもりでいたのに、浅はかやったなあ。

――でもどうして急に、ベートーヴェンだったんですかね?

しんじ:それがまた、長いねんけどな(笑)。京都に柳月堂っていう店があるんやけど、1階は地元で馴染みのパン屋さんで、横にレンガ造りの階段があって、でかい暖簾というかとばりに音符が書いてあんの。普通の人には謎の階段なんやけど、京都の喫茶店とかお店事情を知っている人にはすごく有名な店で、パンで儲けた柳月堂のおっちゃんが私財をつぎ込んで、2階にオーディオルームを作ったのよ。で、そのオーディオを完璧にくつろいで聴けるような最高級のソファとかをいっぱい並べて、メイドみたいな人が沈黙のまま接客をしてくれて、そこにいる間はずっとしゃべってはいけないっていう、名曲喫茶なんよ。で、一日(ひとひ。息子)のスイミングスクールがすぐそばにあって、毎週送り迎えをしてたんやけど、コロナで観覧席の使用が制限されてしまって。どうしようかなと思ってたら名曲喫茶柳月堂ってあるから、最高級のオーディオっていうのに惹かれて入ってみたの。最初はオペラがかかってたんやけど、次にジャズみたいなクラシックみたいな楽しい音楽がかかって、何やろうと思ったら、それがベートーヴェンのピアノ・ソナタだったんよ。俺もレコードを持ってるけど全然違う曲みたいに聴こえるから、次の日にうちのオーディオでもかけてみたら、ものすごいいい音がしてな。そのときは、レコードのほうが聴け聴け!って言ってた気がする。おまえ、ベートーヴェンっていったら、怖いおっさんが理屈っぽく語るようなものやと思ってるかもしれんけど、大丈夫やから、今日はよく鳴らしたるから聴けよ! って。それくらいぐいぐい引っ張られる感じやった。それから毎週、柳月堂に行くようになったんやけど、ロックとかジャズに比べたら、クラシックの知識はまったく浅いから、そこにいっぱいあるクラシックの本も読んだりして。リクエストもできるんやけど、3週間くらい前にバックハウスの32番を初めてリクエストしてな。最後のピアノ・ソナタやから、きっと軽やかに始まるんやろうなって思ってたら全然違って、ゴジラの音楽みたいでほとんど現代音楽やねん。ピアノ・ソナタって普通は第3楽章まであるんやけど、最後の32番は第2楽章までしかないの。第1楽章がゴジラで、第2楽章はベートーヴェンが全美意識を注ぎ込んで作った、理想の村みたいな感じ。理想の音楽村があったら、そこに住んでる人たちはこんなふうにしゃべるだろうなって感じで、右手と左手がお互いに鳴らしてるんよ。蓄音機にハマったときもレコードを買いまくってたけど、最近は落ち着いてきて、もう買い尽くしたかなくらいに思ってたんやけど、ベートーヴェンのピアノ・ソナタにハマるとは。わからんもんやね。

 次のパートを読んでもらうにあたって、しんじ兄が生まれ育った大阪の石井家について少し記したいと思う。石井家があるのは大阪市の住吉区。ちん電(路面電車)が走り、近所付き合いがいまだに濃い、昔ながらの住宅街だ。父は自分で開いた学習塾を62年間続け、地域の人からは「石井先生」と呼ばれている。母はそんな父を支えながら4人の子どもを生み、彼らが育ち盛りだった頃は餃子を300個手作りしていた「すごいお母さん」だ。
 しんじ兄は、男4人兄弟の2番目。両親は3人目に女の子を望んだようだが、男でしかも双子が生まれたことで、男児の数が倍になった。当時は生まれてくるまで子どもの性別がわからなかったし、双子であることが判明したのも妊娠8カ月のときだった。性別が判明したとき、父は病院の壁を叩いて泣いたという逸話があるが、真実かどうかはわからない。
 石井家にはこんなふうに、本当か嘘かわからないけど面白い話がたくさんある。家族が集まると必ず話題になるような昔話も、聞くたびに進化をしている。小説家を家族に持つというのは、たぶんそういうことなのだろう。しんじ兄の書くものに登場した家族は、「かなわんわぁ」とか「話、変わってるやろ!」とか言いながら、結構嬉しそうだったりもする。双子の弟が生まれたときの、くだんの話を今回したときも、しんじ兄はこんなふうに言っていた。
「あんとき父さんが、『もう母さんの体には触れんとこうと思う』って言うてたなあ。子どもながらに何言うてんやろ、って思ったけど(笑)」
 ここからは、そんな大阪時代と家族の話を中心に。

つけで本を買っていた子ども時代。

――音楽はどんなのを聴いてきたんですか?

しんじ:小学生の頃は本読むほうが忙しかったから、普通に流行ってる山口百恵とか、おらは死んじまっただぁ(『帰ってきたヨッパライ』)とかを聴いてたけど。孝典、丸高レコードって覚えてる?

孝典:覚えてる。

しんじ:近所の不動産屋さんが趣味でやってるレコード屋やねんけど、小学校高学年のときに、自分で初めて買ったレコードがボブ・ディランのライブ盤。武道館でやったやつ。

――その辺りは長兄の影響?

しんじ:まず兄ちゃんがなんか見つけてきて、俺がそれを知って際限なく行ってしまう感じやったと思う。兄ちゃんは見つけるのが上手なんやけど、冷静だからちゃんとバランスが取れてるんよ。俺はこれだって思い込んだら、父さんの財布から金盗んでレコード買ってたもんなあ。このレコードは今すぐ聴かないとあかん。おっきくなってから聴いても、絶対にわからへんって思い込んでたから。

孝典:それは盗んでええ理由にはならへんで。

しんじ:でも孝典も盗んでたやろ?

孝典:母さんの財布からも盗んでた。

しんじ:俺は言うとくけど、母さんの財布からは盗んだことないで。それだけは決めてたから。悪いやつやなあ(笑)。それで兄ちゃんがあるとき、ソニー・ロリンズのレコードを買ってきて、珍しく興奮して「一緒に聴こうや」って言うから、聴いたら俺もびっくりして。これは聴いてるだけじゃなく、やったほうが楽しそうやと思って、通帳に貯まってたお金を全部おろしてヤマハのサックスを買ったんよ。ほんで近所の公園で一生懸命練習するんやけど、3週間経っても音が鳴らへん。俺はジャズの才能がちょっとはあるかと思ってたけどがっかりして、当時通ってたアメリカ村のジャズバーに持っていったんよ。「せっかく買ったんですけど、全然鳴らないし、才能がなさそうなんで、買ってくれる常連さんとかいませんかね。ほぼ新品なんですけど」って。そしたら、店主が「そんなわけないと思うんやけどなあ、見してみい」って言うて、「あー、いしいくんな、サックスってここにリードちゅうもんをつけへんかったら、鳴らへんねんで」って教えてくれた(笑)。「えっ、そうなんですか!?」って吹いてみたら、ブーッて鳴った。そら、3週間ずっと練習してたから鳴るわな(笑)。そのとき、たまたま早めに店に来て飲んでた、プロのサックスプレーヤーが「なんや、始めたんやったら教えたろか」って言ってくれて。それが高1の終わりくらいかな。それでしばらく夢中になってたんやけど、あるとき、うちのおばあちゃんが「大丸でやってる絵の展覧会に行こうと思ってたんやけど、最近ちょっと心斎橋まで行くのしんどいから、しんちゃん行っといで」って券をくれて。シャガールの展覧会やったんやけど、それが今のベートヴェンと同じくらい衝撃を受けたやつ。俺が子どもの頃からいろんな話とか絵とかで、面白いなって思ってたものが全部ここに描かれてるやん。ジャズとかやってる場合ちゃうやろ、頭んなかにこんなに溢れてるんやったら、画家になるしかないやんけ。今すぐ絵描かなって。それで東京藝大に行こうと思って、毎日午後は高校に行かないでデッサンばっかりしてた。その頃には、さっき話したシュルレアリスムとかダダイズムの本を読んでたから。

――そこでマン・レイとつながるわけですね。

しんじ:そうやな。いろんな新しいイラストレーターとか画家とかがどんどん出てきてた時期で、大竹伸朗さんもそのひとり。文学もなんやすごいことになってて、文芸誌で今月は新人作家の山田詠美って人が書いてると思ったら、次の月には島田雅彦って人が話題になってたり、村上龍とか村上春樹とかの連載が始まったりっていう時期やったから。周りの高校生も、小説の好きなやつは大抵文芸誌を読んでたからね。

――家にあったから読んでいたわけではなく?

しんじ:父さんの読んでた本では、遠藤周作がいっぱいあったのはよかったかな。あと世界文学全集がズラーッとあって、ディケンズとかゴーリキーとか名前は知ってるけど、買ってまで読まんでもなっていうような本は、大抵そこで読んだ。そしたら、そっちのほうが同時期に読んでた日本の作家が敵わんくらいおもろかった。

孝典:あれを全部読もうと思うのがすごいわ。

しんじ:ここだけの話、あれな、父さんも1ページも読んでないと思うよ(笑)。ページめくったらパリパリパリってして、全部新品やったもん。あと近所に東谷書店っていう本屋さんが昔あって、みんなが思い描くような理想的な町の新刊書店やねんけど、父さんが塾で使う参考書とかは全部そこから仕入れてて、お得意さんやったんよ。それであるとき、父さんが俺ら兄弟に「東谷で買う本は、漫画以外は全部つけにしてええから」って言ったのは覚えてる。

孝典:ビビりながら全部つけにしてた。

しんじ:それで兄ちゃんが、松岡正剛の『全宇宙誌』っていうのをつけで買ったんや。今やったら古書で5万円くらいするんやけど当時も新刊にしては高い本で、さすがにそれは父さんも「返してこい!」って言うてた(笑)。

孝典:さすが兄ちゃんやな。

しんじ:高校生でそれ普通、つけで買わんやろ。俺はひたすら文庫本やったけどな。中学生から高校生にかけて、1日1冊ずつ。

孝典:1日1冊読んでたん?

しんじ:読んでたね。東谷書店の文庫の棚は結構でかかったんやけど、角川、新潮、ハヤカワのSFとミステリーは大抵つけで買うて読んだ。

孝典:俺はしんじ兄ちゃんが家に残してったやつを、あとあと読んでたけどね。

初めて見た黒人のお姉さんに「あ~ん」ってされた。

――実家の書庫には、古い漫画もいっぱいありますよね。手塚治虫全集やら『ドラえもん』やら『マカロニほうれん荘』やら。

しんじ:『ドラえもん』は孝典と克典(双子)やな。『マカロニほうれん荘』と手塚治虫は、ほとんど俺が東谷で買うてる。とりあえず店には毎日顔出すやんか。手塚治虫全集の新刊が毎月3、4冊出てたんやけど、そのうちのどれを買うかは前の月から決めてて、出たら最初に買うって伝えてあったから、「しんちゃん、出たよ」って教えてもらって。結局漫画もつけといてって持って帰ってたけど。あとうちの兄弟に文化的な影響を及ぼしてくれた人として、美保子おばさんっていう父さんの姉がいるんやけど、毎月来るたびにウルトラマンのソフビとかを買ってきてくれるような、夢のようなおばさん。小学校4年生くらいかな、「しんちゃん、漫画買ってあげるから、東谷行こか」って言われて、『がきデカ』っていう漫画を選んだの。表紙見た美保子おばさんも「へえ、かわいいねえ」って買ってくれて。ほんでゲラゲラ笑いながら読んだんやけど。おばさんが帰って、俺はそのまま机の上とかに置いて学校に行ったんかな。家に帰ってきたら、母さんが『がきデカ』持って正座してんの(笑)。「しんちゃん、この漫画どうしたん?」「美保子おばちゃんに買うてもらったんやけど」って言ったら、「なんで美保子おばちゃんがこんな漫画買ってくれたのか、母さんわからへん」って(笑)。金玉とかフリーに出してるから、衝撃やったんやな、やっぱり。

孝典:あんな漫画、見たことなかったのかもな。

しんじ:春画みたいなもんやろ、あれは(笑)。孝典はまだ小さかったから無理やったけど、美保子おばさんには大阪万博も連れて行ってもらってんねん。大阪府庁の職員やったから、ほとんど並ばずに入ることができて、いろんなパビリオンを一緒に見て歩いたんやけど、あの経験も自分の好きなものとか、描くものとかに影響してると思う。なんかね、おっきな女の人がいて、真っ黒なんよ。今考えたらたぶんガーナ館のお姉さんなんやろうけど、すっごいきれいなわけ。そのお姉さんがな、俺の前でしゃがむねん。ほんで笑いながら「あ~ん」って、ほんまもんのチョコレートを口に入れてくれたんよ。衝撃やで、瞳孔開きまくりや。ロッテとか明治とかじゃなくて、純度100%のチョコレート。マリー・アントワネットとかが食べて頭おかしくなったような、そんなもんや。それを4歳の子どもが食べるんやからな。しかも初めて見る黒人の、夢のようなきれいなお姉さんから「あ~ん」ってされて(笑)。

大阪万博で長兄と。たぶん、チョコレートを食べたあと。

――せっかくの機会なんで、双子を兄ふたりで実験した話も聞きたいんですけど。

孝典:それ今、聞くん?

しんじ:改めてやな(笑)。実験っていうか、俺としては双子の弟が生まれて嬉しかったわけよ。かわいらしい双子の赤ちゃんにちょっかい出すとか、いじめたろとかそういう気持ちはなくて、すごい嬉しかったのは覚えてる。めっちゃかわいかったもん、特に克典が。

孝典:なんでやねん。

しんじ:顔立ちがちょっと違って、克典は柔らかい感じやねんけど、孝典はわりと尖ってる感じやったんよ。母さんもそれを意識してたのかわからんけど、克典には黄色とか暖色系のおくるみとか服を着せて、孝典は青とかの寒色系だったわけ。俺は双子の赤ちゃんがいるのが楽しくて、ずっと見てたんやけど、あるとき入れ替えてみたらどうなるんやろって思ったんやな。俺が3歳で、兄ちゃんが5歳くらいのときやねんけど。双子の服を脱がして遊び始めて、帽子は青で服は黄色とか、靴下を右と左で色違いにしたりとか。いろいろやってるうちに俺らもわからなくなって、どっちやったっけ? って(笑)。結局、こっちでええんちゃうみたいに適当に服を直したんやけどな。だからいまだにどっちが本当の孝典と克典なのか、あの日以来、実はわからない。あのとき青い服を着せたほうが、孝典になってしまったんや。第二の誕生ってことやね(笑)。

孝典:足の裏にマジックで書いてた「た」と「か」って文字を、消して入れ替えたこともあったんよな?

しんじ:あれは兄ちゃんがやったんや。

石井兄弟。一番左がしんじ。

――ふたりに聴かせる音楽を意図的に変えて、性格がどうなるか実験したって話も聞きましたけど。

しんじ:いや、あれは自然にそうなったんよ。克典はサザンとかオフコースとか、まあそっち系や。孝典は俺と一緒にレコード買いに行って、迷ってるから「これがええんちゃう?」ってYMOの『増殖』を勧めたんや。そしたらめっちゃ気に入って、1日に8回とか9回も繰り返し聴いてて、三宅裕司のギャグのところで必ずゲラゲラ笑ってるから、気に入ってよかったねえって(笑)。

孝典:克典は学校で聴いても、みんなにええなあって言われるような曲で、俺に勧めてくるのは『悪魔を憐れむ歌』とかそんなんやった。

しんじ:そうやってだんだん変わっていったんやな、ふたりは(笑)。

孝典:ほかにもいろいろあんねんけど、こういう話を面白おかしくしたあと、いまだにやす兄ちゃん(長男)が最後にいっつも言うねん。「孝典、実験はまだ終わったと思うなよ」って。

しんじ:ほんまやなあ(笑)。

両親から現在のいしいしんじへ。

 1日目。荒川修作からマン・レイ、ベートーヴェン、大阪万博、双子の実験。話はしんじ兄の小説のようにタテヨコナナメ、時空を超えて広がっていった。今晩は「死なないための家」と呼ばれる、三鷹天命反転住宅に宿泊するそうだ。用意されているハンモックで眠るのだろうか。そして明日はどんな話から転がっていくのだろう。楽しみだ。

――後編に続く――

■プロフィール

いしいしんじ
1966年大阪市生まれ。京都大学文学部卒。1996年、短篇集『とーきょーいしいあるき』(のち『東京夜話』に改題して文庫化)、2000年、初の長編小説『ぶらんこ乗り』刊行。2003年『麦ふみクーツェ』で第18回坪田譲治文学賞、2012年『ある一日』で第29回織田作之助賞、2016年『悪声』で第4回河合隼雄物語賞を受賞。近著に『げんじものがたり』。『新潮』2019年2月号から『チェロ湖』を連載中。9月25日(土)~12月5日(日)、熊本市現代美術館で開催する『こわいな!恐怖の美術館』展で、新作『100ものがたり(仮)』を発表予定。